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 日本横断  NO15  初出し2016  51 リク  2025年12月13日(土) 11:11
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駒ヶ根→木曽駒ケ岳→空木岳→駒ヶ根  1978年8/4〜6 38才
町内のママ友母子と奥さん・4才息子の高原旅で私は運転手 でも私は中央アルプス縦走が目的 なんとこれが日本横断の始まりとなったのだ
8/4 ロープウェイで千丈敷10時着 卒業来の3000m級、ハイマツ・残雪に感激 木曽駒頂上に着いたがガス 宝剣岳・極楽平まで登山者が多いが、島田娘からは私ひとり 途中追いついたサンヨー電気の青年と檜尾避難小屋にへとへとで17:30到着 水場往復がつらい 
同宿者の「ゴミ持ち帰り」がカルチャーショック 学生時「ゴミは埋めろ」と教えられていた
8/5 6時出発 熊沢岳を過ぎ木曽殿越で水を購入した 10時空木岳に着いて昼食大休止 昼間の盛夏の下りがアツイ 水筒の水を足にかけたほど 駒ヶ根の民宿16時到着 すぐ水シャワーとビール 家族と合流して翌日帰宅
画像@空木岳 檜尾より
 A空木岳ピーク DWVユニフォーム着用
 Bママ友母子と息子

PS このママ友は後で知ったのだが、1960入部の岡田君の妹さんだった 岡田君は夏合宿を終え、夏休中のバイト帰りの事故で亡くなったのだ 夏合宿は同じパーテイ、彼は将来DWVのリーダー級になると私は期待していた 暑い葬儀の日を思い出す その彼の妹さんが4軒向かいに住んでいたとは   


 日本横断  NO14  初出し2009  51 リク  2025年12月13日(土) 10:31
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木曽駒高原→木曽駒ケ岳(ピストン)  2009年6/8・9 68才
6/8 木曽駒高原の林道脇の空き地に駐車 7合目からは雪がベッタリ 4本爪アイゼンなので不安定 尾根へ上がるトレースがないので、木曾前岳への東側斜面をトラバース エンエン5時間雪に奮闘、17:30頂上小屋に到着 遅く着いたので小屋の爺さんが迎えに出てくれていた 心配かけた
爺さんから明日の将棋頭山コースは、荒れているので止められた
6/9 頂上へピストンして下山 昨日の自分のトレースがあるので今日は2時間で降りた だが歩き出してすぐ、膝が痛み出し、痛みをこらえてヨチヨチ林道を車回収 
画像 トラバースした斜面


 

 日本横断  NO13  初出し2017  51 リク  2025年12月11日(木) 14:19
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御嶽山→黒沢→木曽福島→木曽駒高原  1987年 9/12・13  47才
御嶽山から中央アルプス登山口へつなぐ 暗くなった時・場所でビバーク予定
今回はマイカーでなくJR・バスを使用
9/12 田ノ原11時出発 剣ヶ峰13:30、二ノ池15時着 黒沢へ降りだしたが雨になった 暗くなって急いだので転倒、膝が痛い 山の物置小屋等の軒下などビバーク地を探すが、雨もあって適地なし 雨中18時を回って真っ暗、突然犬にほえられた ここは屋敷野、ありがたい旅籠があった 風呂とビールと布団がありがたい 無茶な企画は失敗に終わる
9/13 晴 5時出発 黒沢から合戸峠への旧道を歩く 峠は江戸時代の旅を思い出すような景観がうれしい 10時木曽福島到着 木曽駒登山口の木曽駒高原へバス そこからまた木曽福島へ一時間歩いた 帰りのJR特急は満員、名古屋まで座れず、疲れた身にはつらかった
画像@登山道脇の噴煙 NO12と比べると13の方は小さい
 A二ノ池 9月の残雪 頭の手拭いは大峰山の神明講  

 日本横断  NO12  初出し2010  51 リク  2025年12月11日(木) 13:47
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田ノ原→御嶽山→濁河温泉  1991年 5/3〜5  50才
5/3 犬山から息子にバイトで田ノ原まで送ってもらう 16時閉まっている田ノ原案内所の軒下にツエルト 御嶽頂上の雪煙と噴煙が、夕日の逆光で輝いている 水筒も凍って寒い
5/4 5時 朝焼けでピンクに染まった御嶽目指して出発 頂上近くになって天気が悪化 10時頂上 剣ヶ峰からはひとり 広大な雪原でガス コンパスと高度計を頼りにお池巡り 今夜のツエルト予定地の五ノ池避難小屋跡は、大量の積雪で無理だった 14:30で遅いが濁河へ降りることにする 丁度若者二人が登ってきたので、トレースができて大丈夫だろう 15時濁河へ降りたが、連休中で当然宿はどこも満員だ 村はずれの田圃にツエルトを覚悟して、うどん屋で夕食してたら、うどん屋の主人が見かねてボンゴを一夜の宿に提供してくれた 温泉にも入ってお湯と人の温もりに感謝する
5/5 車内のタオルは凍ている 始発バスを待ってバス停で朝酒をやってたら、また主人が忘れたピッケルを持ってきてくれた またまた感激感謝 バスの窓からの真っ白い御嶽山の巨大な山塊にも感激 12時犬山帰宅
画像@薄くピンクに染まる
  A登山道脇の噴煙
※ ボンゴ・・・当時人気のマツダのワンボックスカー 

 日本横断 NO11  初出し2009  51 リク  2025年12月10日(水) 17:42
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2009年 4/24・4/28・5/1 69才
乗鞍と御嶽の各登山口である野麦と濁河温泉を歩き繋ぐ国道70kmロード 山間の過疎地で宿泊手段がない 70近いオッサンが道端で野宿やテントしたら、不審者通報必須だ 考えた結果、犬山から日帰り3回の強行となった 同じ道を毎回往復する一番いやな企画だ
4/24 高根ダム→野麦村→高根ダム
 昔の合宿ルートを辿るが、すぐに廃道になった 2時間ヤブコギで国道に出た      
 廃村みたいな野麦村に着いた 帰りは国道で帰る
4/28 高根ダム→柳蘭峠→高根ダム
 日和田高原の鄙びた景色に慰められる 小雪がちらついた
4/29 柳蘭峠→濁河温泉→柳蘭峠
 スキー客の車で気が散る 濁河はまだ全部開いてなかった 以前一夜ボンゴ           
 バンを貸してくれたうどん屋も閉まっている 帰り道は野猿になごむ
画像@初春の乗鞍岳
  Aはる・春・ハル・スプリング バックは御嶽山 

 イヤー楽しい!  寺石正温107  2025年12月11日(木) 9:30 修正
 毎回うきうきして読んでます。つぎは・・・・

 日本横断 NO10  初出し2016  51 リク  2025年12月9日(火) 11:05
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野麦村→乗鞍岳→平湯→安房峠→中の湯  1987年10/10・11 47才
乗鞍岳を縦断して、平湯と中の湯を歩き繋ぐプラン
10/10 野麦村のはずれに6:30車を置く 村の人に登山口を聞くが、廃道状況だとのこと ヤブコギ一時間で広い道に出た でも放牧牛が作ったケモノ道だった 乗鞍のピークは見えているので、その方向にまたヤブコギを一時間 やっと元本道を見つける 紅葉の白樺台地・ハイマツの緑が美しい高天原を過ぎると、剣ヶ峰が見えだした ここまでひとり静かな秋の山を楽しんでいたが、突然人の声が上の方から降ってきた バスで上がってきた観光客だ すぐに下の小屋まで逃げ降りた だがここの小屋には一切アルコール類が置いてなかった 後にも先にも初めてだ
10/11 寒くて3:30に起きて出発 満月に白く輝くコロナ観測所のドーム 満月・無風・満天の星空に気分がいい 閉鎖中のスカイラインを歩く 土俵ケ原で朝食 登山道をカモシカが塞いでいた 丁重にどいてもらって平湯大滝へ 平湯から安房峠は、国道が観光の車で大渋滞 それで安房谷の古道に入る だが30分で道がなくなり、またヤブコギで国道158に戻った 数珠繋ぎの車からジロジロ見られながら、11時安房峠に着いた 茶店でビール休憩 国道がジグザグに下っているところは、ヤブコギで真っすぐ一直線に下って中の湯へ ここからタクシー・バスで沢渡・野麦峠へ 野麦峠から2時間ロードで野麦村へ15時着 犬山20時帰宅
画像 カモシカ 面と向かうとちょっと怖い 

 日本横断  NO9  初出し2017  51 リク  2025年12月8日(月) 20:30
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中の湯→上高地→奥穂高岳→北穂高岳  1984年4/29〜5/1  43才
4/29 沢渡に駐車 今冬の大雪で上高地バスは中の湯まで 真っ暗の釜トンネルを歩いて二時間かけ上高地へ 上高地は雪に埋まりカッパ橋はひとりもいない 岳沢へバテバテで16時着く 
釜トンネルは通常歩行禁止だが、歩いたのは「歩き繋ぐ」主旨に千歳一遇のチャンスになった
4/30 快晴 デブリに胸まで埋まって2時間、天狗の頭へ ジャンダルムは少しトレースが残るが、慎重に心を落ち着かせトラバース ロバの耳から、後を付いてきた若い男女二人のザイルパーテイを、ほっとして見ていた自分があった 馬の背は雪がベッタリでむしろ楽だ 奥穂のピークは大混雑、座る場所がない すぐに降りて山荘のラーメンでテンションを戻す ここから北穂、岩と氷の単独長期縦走だ フィジカルでなくメンタルが参る やっと着いた北穂はただひとり 小屋は今日がオープン、同宿三人にワインプがレゼント 
5/1 今朝は気温が高い 水蒸気やガス、それに朝日が反射してあたりは真っ白
完全にホワイトアウトだ ピッケルで足元を確認しながらこわこわ降りる 涸沢まで続く 横尾も雪で埋まっていて、昨日まで上高地へは梓川の河原を歩いたそうだ 幸い上高地のバスは今日から動いていた
@ジャンダルム 男女二人が中央にいる
A北アルプスはまだ冬だ 北穂・槍が見える  

 日本横断 NO8  初出し2017  51 リク  2025年12月8日(月) 9:27
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奥穂山荘→北穂高→槍ヶ岳→千丈乗越  1984年9/28〜30 44才
9/28 新穂高温泉に駐車 6;40発 白出沢出合に8時着 すっかり秋景色だ 奥穂の山荘は、登りつく4時間も前から下から見え続けている これはつらい 下山者4名会っただけで登ってるのは私だけ 14:30山荘到着 槍へ縦走なので奥穂は今回省略
9/29 朝・昼の弁当持って5時出発 紅葉の唐沢を眺めながらの縦走 昨春危なかった涸沢岳の鎖場は、無雪期で平気だ 南岳小屋で昼食 やがて突然要塞みたいな槍の肩の小屋が現れ、そのでかさに驚く 小休止して穂先往復 時間が早いので槍平まで下りたかったが、小屋閉めとガイドブックに合ったので肩の小屋に泊
9/30 5時発7時槍平着 なんだ、小屋は営業していた 新穂高温泉12:30着 無料の温泉に入る 山の別れは、秋は一層寂しく感じられる
@朝焼けの北穂高
A大キレットからの北穂 

 訃報  大西(442)  2025年12月4日(木) 20:00
修正
No.386木本(宇井)直子さん
今年8月にお亡くなりなられたそうです。
ご冥福をお祈り申し上げます。

 日本横断  NO7  初出し2010  51 リク  2025年12月4日(木) 18:14
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烏帽子岳→鷲羽岳→三俣蓮華岳→双六岳→千丈乗越   2010年9/15〜18 70才
9月末に癌摘出の入院が決まる 万一山行が最後かと計画 1987年23年前、中2の息子と行った同じコース 縦走は全頂上巻道があるが、今回はすべてピークを踏む事にした 膝痛対応にトレーニング、薬に消痛予防薬・パップ剤・消炎剤を用意 装備類は経年変化でボロ、一式モンベルで新調する
9/15 犬山3:30七倉7時着 息子同行の1986年は真っ暗で地道だった七倉トンネルは、舗装され照明も完備だ 高瀬ダムの白浜は去年の台風で荒れていた 烏帽子小屋に14:30着 同宿4名
9/16 小雨&ガス 5時発 暗くて慎重にルートを選ぶが、真砂岳でミス、30分ロス 悪天候の単独行は、途中の小屋を素通りするのには強い意志が要る 本日は二軒素通り 膝は薬とトレの効果か無事だ 三俣山荘15:30
9/17 曇り 三俣蓮華・双六岳を踏む 槍ヶ岳の景観が素晴らしい 槍の穂先がクッキリ 北鎌尾根も懐かしい 千丈乗越12時着 槍平へゆっくりと下る  15:30槍平小屋着 27年前、姪を加えた六人ファミリパーテイが懐かしく、小屋の周りを散策する 悪天候でも行動するので雷鳥の出会いが多い 今日は17羽
9/18 小屋で珍しく朝食 連休なので新穂高温泉までに250人も登山者に合った 平湯で入湯、ビールと牛丼で打上げ JRで松本→大町、タクシーで七倉へマイカーを回収 犬山20時着
 画像 千丈乗越手前からの槍ヶ岳  縦位置・横位置
 

 日本横断  NO6  初出し2017  51 リク  2025年12月3日(水) 10:01
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針の木岳→船窪岳→不動岳→烏帽子岳  1986年9/6〜8 46才
この時点では「北アルプス全山縦走」が目標 それは次の計画の乗鞍・御嶽山で完成予定 今回は歩きを楽しもうと足元は地下足袋にした
9/6 JR中央線で松本・大糸線で大町 アルペンルート観光で賑わう大町からはバスで扇沢 11時着 歩き出すが雨、大沢小屋で一時間雨宿りするが合羽を着て再出発 快調に飛ばし針の木小屋に15:30着 小屋は明日で小屋仕舞い 相客一人
9/7 4:30発 電池が切れ、星明かりで廃道状の中沢を下る 明るくなるころに針の木谷出会いに到着 北アルプス最後の秘境・幽谷感がすばらしい
不動岳までは、不明朗なハイマツ根っこの縦走だ 不動岳からは、白砂清松に遅咲きのコマクサの楽しい縦走 14時烏帽子小屋到着 12時間行動 本日は静謐の北アルプスを、一日贅沢に独り占めできた
9/8 5時発 高瀬ダム7時着 ダム湖は山中に珍しい白砂の浜で美しい 暗くて長い七倉トンネルはエレキ頼りに抜け、七倉に8時到着 ここからバスで大町へ出て、犬山へは15:30 マイカーでない山行は珍しい
@船窪から針の木岳を振り返る 注目!地下足袋です
A烏帽子岳
PS 今まで画像の圧縮率が小さすぎた これからは少し大きくします

 日本横断 NO5  初出し2014  51 リク  2025年12月1日(月) 10:26
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針の木岳→赤沢岳→種池山荘  1985年 9/14.15 45才
3000m・中秋の名月・ビバーク・ウイスキー目的の山旅
9/14 扇沢9時発針ノ木峠14時着 針の木小屋は2.3人の泊り客のよう そのまま頂上へ向かう 登山道を少し離れたハイマツの陰を今夜の寝室にする 鍋焼きうどんデイナーにウイスキー 山の歌を歌う 満月だ 遠く槍の肩に山荘の明かりがポツンと見える 満天に星 至福の時だ
9/15 5時起床 曇っていてご来光はダメ 360度山・山・山 山の同定を楽しむ 種池までご機嫌で縦走、そのまますぐ下山
@針の木頂上 キスリングが懐かしい
Aデイナー 黄色のマルキルにウヰスキー 燃料は固形メタン
Bベッドルーム 傘を頭に夜露を避け、キスリングにシュラフを入れて防寒

 「針の木!」懐かしいなあ!  寺石正温107  2025年12月2日(火) 8:46 修正
 1963年(3回生)の時、アノ赤痢事件のあったナチ合宿のため
同期の下地と張りの木小屋へ50kgの荷物をデポした。
朝5:00に出発、着いたのが17:00。設計の上なので座ることもできずピッケルによりかかる休憩でした。
 しかし、針の木の隣の蓮華岳は高山植物で、一杯。

 日本横断 NO4  初出し2014  51 リク  2025年12月1日(月) 10:06
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五竜岳→鹿島槍ヶ岳→爺ケ岳  1983年 9/23.24 43才
9/23 雨 犬山3時発、扇沢6:40に駐車 バス・JR・タクシー・リフトを乗り継ぎ八方第一ケルンに10時着 八方池ではベニバナイチゴが豊作で満喫する 不帰の嶮が大迫力で迫ってくる 五龍山荘15:30着 ここはカレーが一杯よそい切り
9/24 雨 先発の若者二人と先陣争い 五龍で負けたが鹿島槍で逆転 爺ケ岳あたりでガスも晴れ、富山側の紅葉が美しい はるか遠くへ続く緑の尾根に、種池小屋の赤い屋根がミニチュアのようで美しい 種池小屋でビールを一気飲み ドシャ降りの中扇沢へ走り降りる
@不帰の嶮
A五竜岳 左奥は鹿島槍  いずれも八方池より

 1971同期ミニ会  301佐々木道生  2025年12月1日(月) 7:04
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 三宅八幡の下宿の同窓会のために宇都宮から上洛した306吉田を囲んで関西3人299,305,301で飲み会を催した。
 紅葉トップシーズン日曜日の京都は繁華街や観光地の側には近づけないので出町柳の媽媽菜館六花で昼飲みする事になった。
 お決まりの昔話、健康、近況など2時間ほど機嫌よく喋って、来年4月後半に東西中間点の静岡で295,298を加えた6人全員集合する事にし、以降は生存確認のために毎年東西どちらかに交代で集まる事を決めた。
 食事後、305はここで解散。3人で今出川キャンパスまでブラブラ歩く事にした。鴨川の飛び石を何とか飛び、レトロな枡形商店街の中を歩いたが、インバウンドらしいのも結構多い。豆大福ふたばの前は大行列で河原町通りを挟んだ反対側まで続いていた。
 正門を入った所が整備されて良心碑の周りがすっきりした。在学時1973年に建設された大学図書館は来年3月に向けて建て替え工事中。3人の写真を撮ってもらった二人連れの女性は韓国から来たとか。中華店での全員写真を撮り忘れたので305の姿無しです。

 明徳会  51 リク  2025年11月29日(土) 18:03
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11/28明徳会開催 42西村・44平賀・50西村・51岡本・58高須・107寺石・115野中
 平均年齢84.3才の元気な老人たちです
昔話が盛り上がったが、市田没後丁度一月でなおさらだった  話題が出た名前は1金澤5中島8国定12藤井13上坂19岡田20綛田21垣内22藤本26新川36末吉37横田38上山62岡嶋44平賀46福留&奥方47林48市田53坂口54佐野55笹岡&前後奥方56下田57高井59和田60戸田&奥方85荒木100太田170笹田175片田250三宅653和田などなど
時間が足らない 泊まり込みで二日は欲しい 楽しかった うれしい よかった 

 ワンゲルってホント嬉しい!  寺石正温107  2025年11月30日(日) 11:58 修正
岡本さん、早速ありがとうございました。
ワンゲルはとき、年齢を問わずお会いし、語ることがこんなに楽しいとは!高須さん、50西村さんの話に乗り少し言い過ぎたたのではないかと反省しています。
しかしながら16階の階段を上へ下へのトレーニングには驚き、現役時代の超人的体力を思い出しました。

 日本横断 NO3  初出し2016  51 リク  2025年11月26日(水) 16:10
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三国境→白馬岳→唐松岳  1981.9/25〜28 41才
9/26 3時犬山出発 JR北小谷7時着 林道でトラックに拾われ風吹大池11時着 風吹休憩小屋でビールを飲んで一時間昼寝 千国揚尾根は紅葉が雨に映えて美しい 突然頭上でカミナリ、慌てる 天狗原で喉が渇き池塘の水を飲む 渋くてこの後池塘の水は絶対飲まない 白馬大池の小屋に16時、冷え切った体で到着
9/27 10時間寝て6時出発 風雨だが白馬も天狗の小屋も素通り ガスの中にうっそりと不気味な姿で現れたのは、不帰の嶮の岩塔だった 岩塔から岩塔に水平のハシゴがかけてある 雨で濡れガスでどんな高さを渡っているのかも判らず、四っつん這いでこわごわ渡った 唐松岳で夏合宿に亡くなられた中野さんへチョコを手向ける 一日中の右からの強風と雨で顔面右を強張らせて、烏帽子小屋に着く 小屋の同宿者全員が荒天の沈殿だ ストーブを囲んで山自慢とウイスキーをみんなで楽しんだ
9/28 快晴 紅葉を楽しみ山旅を惜しんでの下山
画像 千国揚の紅葉

 市田の思い出 画像OB3  51 リク  2025年11月22日(土) 18:03
修正
2008.5 橋立宅へ夫婦と犬でテントで泊まったことがあった 京都の長兄快気祝い・天橋立市田宅訪問・境港和田墓参・宮崎下田訪問等が目的の13日3500kmのオートキャンプだった 車は6代目の新車真っ赤なアクセラ
市田宅は臨海学校で馴染みだ まず前庭にテントを張って宿を確保 家に上がって嫁さん・愛犬を紹介 あとは何時ものように酒盛りだ でも明日からの旅があるので10時には就寝 翌朝7時にはさっぱりと別れた

画像@ 愛犬ELVISは行儀がいい
  A いい笑顔だ

PS いつもの投稿はしばらく謹慎します

 市田先輩、お世話になりました  153番  吉田梢  2025年11月21日(金) 10:27
修正
昨日同期のラインに荒木彩子さんから市田さん逝去の知らせがありました
難病ながらもまずまずお元気と聞いていましたが、、、残念です
謹んでお悔やみ申し上げます
私たちが入部した年夏合宿にコーチとして参加されちょっと冷たいいけずそうな感じがしましたがお酒が入るところりと印象が変わり目じりが下がって優しい朗らかな先輩になりました
嵯峨野のお宅に彩子さんと私がそれぞれ赤ん坊を抱いて年始に行ったとき私の子がおしめを濡らし替えを持っていなくて焦ったこと、奥様が何か布やら新聞紙やらを慌てて出してくださったことなど、大昔を懐かしく思い出します
観音竹やエンゼルトランペットの大きな鉢も頂きましたね
いろいろ有難うございました 安らかにお休み下さい

 ありがとう  51 リク  2025年11月21日(金) 17:41 修正
初代コーチ市田の人物評、さすが100点です 男にうるさくねちこい 女性にはシャイで一見優しく見える でもそんな彼が好きでした 

 市田の思い出 画像OB2  51 リク  2025年11月21日(金) 12:47
修正
@2019 入学以来60年 初めての同期会 途中退部者一名込み 上欄は鬼籍物故者で左より59和田・57高井・60戸田・47林・56下田・55笹岡
 生存者 左席手前より 45藤原・51岡本・大武(二年退部)・48市田・58高須・坂口  右席手前より 44平賀・46福留・50西村・54佐野・49中川          

A2019秋 市田最後の明徳会出席回 左席手前より 38上山・51岡本・78谷村・71桜井・54佐野・85荒木      
 右席手前より 37横田・42西村・48市田・36末吉・44平賀・65橋本・107野中・寺石 

 市田の思い出 画像OB1  51 リク  2025年11月21日(金) 11:22
修正
@2004 橋立臨海学校 海の男達 私のカヌー持ち込み
A2006   〃    デイナー シェフは市田 アシスタント&カメラ岡本

 市田の思い出 画像1現役  51 リク  2025年11月21日(金) 11:04
修正
@1959.5 第二回比良錬成 左下市田
A1959.11 大峰錬成秋合宿
B〃
C1960.6 大山蒜山パーワン 二人ともかわいらしい

 市田の思い出  51 リク  2025年11月21日(金) 9:43
修正
同期で京都出身が48市田・44平賀と私だけだった(60戸田は新人錬成の公傷で休部状態) 三人は「みやこのキンダチ(公達)」として何かと吠えた仲間だった
二年の6月 彼に誘われ二人だけで大山・蒜山パーワン5日間をやった 行く前に彼が言った「テストがあるので勉強道具持って行くで」 有言実行で毎夜テントで私は寝ても遅くまで勉強していた もう一つ 二年の新歓のファイヤーで彼が歌った 「白い花が咲いていた…」と澄んだ高い声で少年の清純さで唄った 曲目とその美声に普段の彼を知る私にはショックだった
2004年 彼の母が残した天橋立にある実家で、開校していた臨海学校に参加した 生徒は先輩37横田さん・44平賀・46福留・54佐野・私の6名で、閉校になる2008年まで参加した 彼は無類の酒好きで、学生・社会人もよく二人で朝までベロベロに酔うまで飲み歩いた
難病にかかってからみんなとも会えず酒も飲めず、さぞ寂しく苦しかっただろう
好漢 しずかにねむってくれ
PS画像は何回か分けて掲載します

 訃報  大西(442)  2025年11月20日(木) 23:32
修正
ザックNo.48市田博さん
10/28にご逝去されました
先月家族葬をされたとのことです
市田先輩のご冥福を心よりお祈り申し上げます

 ちーむみやけ 11 月度活動報告@  175 片田  2025年11月18日(火) 16:36
修正
活動地   秋の奈良・飛鳥路を歩く
活動日   11月16日(日)
参 加   170笹田 175片田 179井阪 250三宅  
天 候   秋!秋晴れ!  
食 当   笹田 魚の水炊き・うどん

 10時に橿原神宮駅前に集合。快晴、秋晴れの甘樫丘に登りました。晩秋、短くなったとは言え全くの晴天、秋晴れの径を愉しむ。
 飛鳥寺、岡寺、石舞台とそれこそ歴史に彩られた飛鳥路を汗ばむくらいに歩きました。
 近鉄飛鳥駅まではバス、大和八木駅まで戻り打ち上げ。楽しい1日でした。

写 真@ 甘樫丘、正に秋色、秋晴れの空に大きく伸び色づいた梢が輝いていました。

写 真A 今日も元気、にこやかにほほ笑む。いいね!

写 真B 正面が万葉に詠われる 畝傍山、この近くに奈良きっての伝統ある名門・畝傍高校があります。今を時めく女性宰相・高市早苗さんの母校であり、OB・237春増さんの母校でもあります。

写 真C 鯛のお頭でだしを取り、サケ・サワラ・タイの水炊き。秋晴れの空の下、これぞ絶品。

 盟友はいいね  51 リク  2025年11月19日(水) 16:57 修正
うどんを継続 尊敬します
今の掲示板は2022年までしか遡れないが、2022.12.18やはりうどんの掲載があります これからは消化の良い面からも、末永く食べてください

 ちーむみやけ 11 月度活動報告A  175 片田  2025年11月18日(火) 16:24
修正
写 真D 秋色、秋の輝き、美しさ。

写 真E 飛鳥寺。日本最古の有難い大仏様。

写 真F 岡寺門前。結構山の上にあり疲れました。

写 真G 石舞台。古え人の是非成敗に思いを馳せました。


 日本横断 NO2  初出し2009  51 リク  2025年11月17日(月) 16:07
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三国境→雪倉岳→朝日岳→蓮華温泉 北行 2009年7/18〜20 68才
全単独化を目指して3弾め 当時高速料金が日祭日が¥1000乗り放題だった 低気圧が接近中だったがそれで実行した
7/18 雨 6時犬山出発 蓮華温泉10:30着 豪雨だが白馬大池を目指す 小屋は悪天の為沈殿者で満員、そこえ今朝小屋を出た白馬ツアー40名が悪天で引き返してきた タタミ一帖に三人状態の超満員になった そこはベテランの小生、食堂の隅にコッソリ忍び込み安眠した
7/19 雨はやんだが強風 朝日岳方面は、小生を含め4名だけで5時出発 風速は20m程か、四つん這いでジワジワ登り雪渓では高巻きをする 雪倉岳が見えホッとした途端、吹き飛ばされた、尾根が広くてよかった 5m飛ばされハイマツ帯に軟着陸する 朝日小屋到着まで10時間のハードな一日だ 途中で会った9匹親子連れの雷鳥には慰められた
7/20 快晴 コースの半分程が木道・階段で膝が猛烈に痛み出した 脂汗を流して蓮華温泉に下る 温泉がありがたい やはり高速は渋滞 倍の8時間かけて帰宅した
画像 右が朝日岳 一つおいて雪倉岳 花園から
※ 三国境・・・雪倉岳の南稜線付近の鞍部

 日本横断 NO1  初出し2016  51 リク  2025年11月15日(土) 12:54
修正
吹上コル→黒岩平→犬ガ岳→親不知 北行 1988.9/15〜17 48才
コンロ・コメなし ツエルト 30年前のローテク装備 重量13kg
9/15 親不知駐車場7時着 早朝屋台のタラ汁がうまい ヒスイ採りで賑わうJR糸魚川から平岩、バスで蓮華温泉へ
9/16 5:30出発 兵馬平で朝メシ 雨だが軽量なので主稜の吹上まで上機嫌で到達 コルには三角錐の巨岩が鎮座 それには「→日本海」と赤ペンキで大きな文字があった 挑戦的でいつか日本横断をやってやろうと言う気を起させた
日本海へ向け出発 小雨と草紅葉の黒岩平に14:30着 ツエルトを張る
9/17 5時出発 雨はやんだが濃いガス 池塘は雨水で溢れ、コースが判りにくい やがてガスが晴れ、池塘に中秋の満月が鮮やかに映る 犬ガ岳8時、白鳥山12時、うす暗くなった17時に親不知に到着 日本海の海水をダルマのミニボトルに採集する
画像@ 吹上の巨岩
A日本海を背に
PS 海水は太平洋の海水と合わせ、後日北岳に注ぐ予定  

 毎日が楽しみです!  寺石正温107  2025年11月16日(日) 8:32 修正
 毎日OBOG会のブログを見るのが楽しみです。
岡本さんの記事が頻繁に出るようになったから。前回からはいよいよ日本縦断が始まった。現役時代からスーパンマンぶりにはあこがれていましたが、個の記録は快挙ですから。
 今後が楽しみです!

 同志社創立150周年記念ホームカミングデー、大懇親会、41会 同期会  北濃 登美男  2025年11月13日(木) 21:44
修正
写真追加します

 日本横断 序章   初出し2016  51 リク  2025年11月12日(水) 11:46
修正
1978年中央アルプス空木岳から2011年南アルプス仙丈岳で終わる38才から71才までの33年の記録です
日本海は新潟親不知から太平洋静岡の大井川河口まで、北・中央・南アルプスを縦走、乗鞍・御嶽山又その山麓を、ひとりで歩き繋いだ600km「単独日本横断」です(あし54号記載) 単独ではないが日本横断は一応1989年に終えていた(あし33号記載) それからは、カヌー7年・オートキャンプ30年・今もやっている畑、DIY等に打ち込んでいた 20年後の2009年あと5回の単独山行で日本横断が「全単独」になると気づき、2011年仙丈岳で完成できたのだ
また3000m超全山踏破の為、立山・剣・白根三山・富士山等も登った 欲を出して富士山をゼロから登り横断コースに繋ぐ企画もしたが、駿河湾→富士山→富士吉田で諦めた
この日本横断は、私の人生最高の宝です 余生はウイスキーグラスを片手にロッキングチエアに揺れ、山を想う私の姿が目に浮かびます
画像 踏破コースを1/20万の白地図に書き込む それを見惚れる愛犬
PS 2025.11の今、予想通りウイスキー片手にキーボードに向かってます
   地系列・時系列・縦走の南北方向がありますが、日本海から太平洋の地系列に縦走方向は無視します

 吠える現役生  大西(442)  2025年11月11日(火) 22:22
修正
トレラン後、有志で歩く
旧河合町役場前のライオンレリーフ前
左から813松野818安井810磯部

 トレラン法隆寺前  大西(442)  2025年11月11日(火) 22:16
修正
5世代(大西65福山47上田30現役生19~21福山ひら15)の集まりでした

 白庭台〜法隆寺トレラン  大西(442)  2025年11月9日(日) 20:54
修正
11/8現役のトレラン企画に参加してきました。 コースは白庭台〜法隆寺までの矢田丘陵、
OB福山とコーチ上田の引率、現役5名と福山家の次女さんも参戦、途中奥田コーチも合流して賑々しい走行会となりました。
またアフターで現役3名と先週に行ったハイキングのコースを法隆寺から繋ぎ大和高田迄歩きました。
(OBハイキングは本部掲示板に掲載されております)

 一本のつえ  初出し2018  51 リク  2025年11月7日(金) 14:22
修正
ここに一本の柳の自然木のツエがある 自然の曲がりをうまく使ってある 
1961年春合宿 九州の大隅半島のとある道端に忘れられていた もう64年経った
私の山行に2.3回は同行した 軽いので母と義母が晩年、室内を歩くのに使ってくれた 私が60才で肋骨骨折をした時もしばらく厄介になった 
2025年 少し割れてきたがまだまだ使えそうだ 来年あたり私の室内用に使われてるかも知れない
一本の木の枝だけれど、いろいろな思い出がある
@61年春合宿解散後 桜島をバックに
A今の姿

PS 次回から「日本横断」をいよいよ掲載始めます

 岡本先輩、ありがとう!  寺石正温107  2025年11月8日(土) 8:42 修正
岡本先輩(自称リク)のコラムを読むのが楽しみです。
全く投稿のなかったのがこのところ楽しみになってきました。(感謝)
これからもよろしくお願いします。

   51 リク  2025年11月9日(日) 17:43 修正
ありがとう
やっと一人 読者が反応してくれました
私こそ感謝です ありがとう

 比叡山新人歓迎会  初出し 2021   51 リク  2025年11月3日(月) 9:42
修正
1959.4 部最初の本格的な新人歓迎が比叡山で開催された 「みどりのこだま」キャンプセンチャー(阪急電車と毎日新聞経営・夏季WV関西連盟スタッフ派遣・連盟校自由使用可)で一泊二日コメ三合と毛布持参 カレーの夕食後、キャンプファイヤーで楽しい初体験ばかり 19岡田さんのMCで盛り上がり、私達新人は入部する気にさせられた 夜は管理小屋と白テン(20綛田さん寄贈の木綿帆布20人収容25s濡れると40kg)に分かれて宿泊 新人18名、4年まで生き残ったのは8名だった
1960年 第2回 新人31名旧人とあわせて65名 この年から新歓は2回生の実行となる ファイヤーでは私の「ダニーボーイ」が大好評だった
1961年 第3回 新人40・OB7・旧人40総計87名 装備食料が大量なので私の実家のトラックで運び上げた 
1962年 第4回 新人25・旧人26・OB10総計71名 
新人参加が多いのは、当時部の会計が苦しく出来るだけ多くの入会金を集めたかったから あとは錬成で人数を絞ると言う、一種の詐欺だった
とは言え新歓は、新人は初体験・旧人はお祭り気分・OBは懐旧で集い、盛大なファイヤーの歌と踊りで楽しんだものです
画像@1959 新人44.45.46.48.49.51.54.56がいる
A1960 初代監督中川さん参加 新人30名中、4年間生存は13
B1961 参加者87名は最大記録であろう
C1962 私が判別できる新人は111本田・115野中だけ 

 

 2025年10月こぶしの会・新島襄先生墓参  荒木彩子・  2025年11月1日(土) 18:24
修正
10月29日、さわやかな秋晴れの一日、新島襄先生のお墓参りをしました。
 三条京阪に集合、南禅寺を経由して熊野若王子神社で蹴上からの二名と合流。昼食。
 若王子神社からの登山道は、きれいに舗装されたアスファルトのスロープと石段の、登りやすい道になっていて、我々年寄りにも楽に、安全に上ることが出来ました。
 同志社出身の我々には「校祖・新島襄」の墓参りとの思いはあるが、NHKの大河ドラマ「八重の桜」で妻である八重さんの方が有名になったからか、レディーファーストなのか、山麓の道標には「新島八重と新島襄の墓」と記されていて、時代の流れを感じました。
 墓地内には新島家、八重さんの実家山本家関係者の墓が並んでおり、同志社関係者の墓標の中に、DWV元部長、伊藤規矩治先生、井垣章二先生の名前も確認することが出来ました。
 帰りは南禅寺の水路橋を見学、ビールがなかったのが残念でしたが、蹴上の国際交流センターのカフェで次の予定の相談をして一休みした後、それぞれの帰途に向かいました。
 
参加者:64蜂谷 71桜井 123池田 153吉田梢 高畠、 三輪、 
    158荒木 
    

 ペンション優  初出し2020  51 リク  2025年10月30日(木) 10:33
修正
1992.5 NO58高須と乗鞍を目指す 
一年後輩のNO69牧野君が乗鞍高原で「ペンション優」を営業している 二人とも行ったことがない それでコースに組み込んだ 犬山を早くに出たので朝の7時に「優」に着いた ペンションらしくない信楽焼の巨大なタヌキが入り口を守っていた まだ玄関は閉まっている 扉を叩いた やがて牧野君が現れたが、早朝にたたき起こされ卒業以来の先輩二人が玄関に立っていたのだ まさに青天の霹靂だっただろう 現役ではやや面倒な二人だったので、一時間ほど旧交を温めてから今夜は位ヶ原泊りと言うと、明らかにホットした顔にになった 今夜泊めてくれと言われたら困ったという感じだ 
雪原を登って14時着いた位ヶ原小屋は、まだ開けておらず管理人が登ってくるまで2時間待った 位ヶ原まで道路は除雪されていて、雪の側壁は5mはあった
翌日快晴 雪も締まりテンションが上がって、山の裏側の高天原まで行ってしまった 剣ヶ峰からの下りになって、ガスが出た やがて広大な雪原はホワイトアウトになる 3〜5m離れて後ろの高須のコンパスで方向を修正しながら無事下山 「優」には寄らず、温泉に入って帰った
牧野君とは現役時同じパーテイにならなかったが、好漢な青年だった


 開高健  初出し2018  51 リク  2025年10月27日(月) 10:46
修正
40代半ば、ガムシャラに突き進んでいた仕事や子育ても一息付けた ふと自分を振り返ると、音楽・絵画・文学などアートな部分が生活からなくなっていた ショックだ そんな時、電車の中吊りに「オーパ!」の文字が目についた 変なタイトルに惹かれ本を購入した それが「開高健」の始まりだった いままで出会ったことのない文体・ワード・にビックリ たちまち気に入った 名古屋京都・東京の古本屋をあさり、地方出張でも買い漁った 130冊ばかし集まった内、新刊は30冊だけだ 
1990年彼の没後、妻の牧洋子・一人っ子の娘牧道子・親友の谷沢栄吉、向井敏や出版社の鎮魂・追悼誌も読み集めた TVで海外の彼の釣番組がかなりあり、楽しんだ 一本だけ買ったDVD「河は眠らない」は今も持っている 
1994年53才 埼玉鴻巣市へ単身で転勤した 月一慰問でくる奥さんと鎌倉観光をした 円覚寺で多くの塔頭の内で、「松嶺院」へたまたま入った 裏の丘へ登った時、突然目の前に大きな新しい墓が現れた 墓石は大きな自然石で供花や卒塔婆が新しい 開高が茅ケ崎に住んでいたのは知っていたが、この時点では全く彼のことは忘れていた だがこの墓を見た瞬間「あ、開高健の墓だ」と私は叫んでいる 不思議だ 開高健が私を引き寄せてくれたのだ
二年後、線香・花を用意して松嶺院を再訪した ファンの参詣が多く門が閉じられていた 寺務所に挨拶をして開けてもらい参詣した
彼の死後2.3年で妻・娘とも変死(自殺を推察) 彼の家系は消えたのだ
多くの夢・癒し・感動をもらえたことに感謝します 南無阿弥陀仏

   592黒嶋  2025年10月28日(火) 23:29 修正
私も、開高健大好きです。濃厚で練り上げられた言葉の奔流に圧倒されます。こんな熟語があったのか とか、この一文を捻り出すために何時間・何日かけたのだろうかと思ってしまいます。移動時間が長い出張や、滞在日数が長い出張の際は、カバンに開高健の小説かエッセイを入れて、じっくり味わっています。

 帽子のおj話  初出し2018  51 リク  2025年10月24日(金) 10:38
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初めての帽子は、48才1988年名古屋松坂屋で買ったフランス製のハットだった 日常生活はもちろん、山やオートキャンプ・畑仕事などで愛用酷使した 17年使ってさすがにくたびれた 北海道オートキャンプ帰りのフェリーから、フランスへ帰れと海に投げた 
二代目は2009年モンベルで買った でも2010年国道走行中の車窓から飛ばしてしまった
三代目 すぐにまたモンベルで買った 色は初代と同じカーキ 日本横断の真っ最中で初代より酷使した 
2015年10月NO85荒木夜久野邸へ行く途中、京都の妻方の墓参をした その時この帽子をお墓に置き忘れた 暫くして気が付いたが引き返すのには遅く、代わりの黒い帽子をスーパーで買って夜久野へ向かった 彼を見捨てたのだ
その年の12月次兄の葬儀で京都に行くが、妻方の墓へは行かなかった 
2016年1月 長兄の49日法要で京都に行き、妻方の墓参もした その時ふと後ろの他家の墓の鉄柵に、何かがぶら下っている エッヘー 彼だ! あの帽子だ!
ごめん!ごめん! 風雨霜雪に曝され200kmも遠く離れ90日 お墓でひとりぽっちで、私を待ち続けてくれていたのだ すまない ごめん
さすがにモンベル、少しも傷んでない この時被っていた黒い帽子は直ぐ被り替えた 2025年10月、15年たっても健在で愛用している
    もう一つの関連エピソード
上記の次兄の葬儀 午前、葬儀が午後なので同志社大学へブラっと妻と一緒に行った 新しい校舎など見学して、M地下(明徳館)食堂へ早い昼食に行く 三つ四つ向こうのテーブルにおじいさんがひとりうどんをすすっていた 妻「アレ! 市田さんじゃない」 それでそっちのテーブルに移った 私「ここに座ってもよろしいですか」 キョトンとして判るまでタイムラグがあった
京都・同志社・M地下・葬儀時間等々偶然が重なったのだ この時点、帽子は黒を被っていて、三代目モンベルは墓にまだ置き去りのままであった
@手前がモンベル 奥がそのピンチヒッター この黒い帽子は2016.4会社のOB会で忘れて紛失
A同志社チャペル館の前 NO48市田と再会 帽子は黒
PS 今2026.2.9 この帽子はさっきも被って畑へ行った    

 ザックナンバーとキスリング 初出し2019  51 リク  2025年10月22日(水) 9:08
修正
この19日現役総会でザックナンバーが授与された
いつかの総会で稲岡先生が、ザックナンバーは素晴らしいシステムだ 70年近い歴史と800人のOBOGが簡単に判別できるのだ 学生・社会を含めて滅多にないシステムであるとあいさつで述べられていた
1958年「あし」創刊号の名簿はまだ番号がついてない 翌年の二号はNO1金澤さんからNO42西村さんまで欠番なしで会員番号が付いた(当時は部でなく会だった 因みに金澤さんは同志社女子大なのでOB第一号なのです)私も編集委員だった三号では部員番号となっている
あの頃から部員のザックは、一澤帆布店のキスリングがほぼ強制的に採用された
一澤のザックは京大探検部の指定で歴史と信用があったのだ 我が部も京大仕様でタッシュだけ大きくした 私が一回性の時からNO21垣内先輩の装備係補助として、よく打ち合わせに行ったが、いつも奥さんはアメダマをくれた 子供扱いだったのかなあ
部員も多くなり60〜80人の合宿もあり、行動中の休憩や宿泊が公民館・学校などを借りた時、同じザックばかりで自分のザックが見つけられない 行動に大きく支障ができだした NO36末吉さんの提案でザックにナンバーを縫い付けることとなった ザックをナンバー順に並べ置くことで解決できたのだ 1959年秋合宿から同志社大学マークとナンバーのワッペン(有料で50円)を各自ザックの背中に縫い付けた(指定位置は右下ナンバー左下マーク) 
この1959年秋から夏合宿まで生き残った者に、ザックナンバーが付与されたのだ
ザックナンバーの保有者は同志社ワンダーフォーゲル部部員として、生涯の名誉と資格を誇れるのだ
画像@下段中央が大学マークのワッペン
A1960年北海道夏合宿 最後尾(私)のザックにマークとナンバーが微かに見える ブラさげているカンはクマ対策 又マキを担いでいるのは、装備のコンロが不足なのと国立公園だから炊事用のタキギなのだ

 現役秋の総会  489 荒田  2025年10月21日(火) 0:09
修正
10月19日(日)10:00 〜 田辺キャンパス会議室にて稲岡部長先生、中西監督、上田・佐竹コーチ出席のもと現役の秋の総会が開催され、OB会からは大西、荒田が参加いたしました。

●活動報告
4月〜9月に実施された21の合宿等の報告が行われました。写真を投影しながらの報告はそれぞれのPW、合宿の充実ぶりが伝わってくるものでした。また、自転車でアプローチして乗鞍岳登頂という新たな形のPWなども印象的でした。

●ザックNo.授与
稲岡先生より今年の新入部員14名に対してザックNO.の授与が行われました。「絶対やめません!」「生きる力をつけたい!」いろんな一言をいただきました。頑張ってください!

●後期活動
後期については、冬山班、自転車班、ロングトレイル班に分れて活動をしていく方針。最終合宿は冬山班:鳳凰三山、自転車班:ハワイ島一周、ロングトレイル班:国内4〜5日(場所未定)を予定。

●現役新役員について
今後の体制が発表となりました。
 主将  松野想真さん
 主務  松本創さん
 副将  廣岡恭子さん
 安全対策委員長 安井陸悟さん 
 会計  下田泰暉さん
 副務  赤木ゆかり さん

よろしくお願いします。

OB会としても何が出来るかを模索しながら、引き続き現役活動を応援・サポートしていきたいです。

 あるノラ  書き下ろし  51 リク  2025年10月20日(月) 9:57
修正
初めて出会ったのは、2020年9月 早朝の犬の散歩だった 散歩の折り返しを曲がった時だった 朝5時前でまだ暗い 前方の歩道に白く浮かび上がったものがある 「あ! ネコ」と気づいた途端、横の街路樹に飛び上った お互い暫くにらみ合ってたが、やがて木から飛び降りて行ってしまった 翌朝また会いたいので同じコースを散歩したら、矢張り同じとこにいる 50mほど手前から「ニャーン」と呼びかけたら「ニャーン」と答えて鳴きながら向こうから近付いてきた 毎朝同じことを繰り返し、10日ほどで撫でることもできた でも10月半ば、蝙蝠が消えるころ会えなくなった 蝙蝠を狙って飛びかかるワイルドな場面をよく見ていた
2022年6月 例の場所に近い畑で作業をしてたら、白いネコが近くにいた 瞬時に思い出して「ニヤーン」と声を掛けたら「ニャーン」と答えて2.3歩近寄ってきた でもそのまま去って行ってしまった 立派なノラに育ったのを見せに来てくれたのだ
2024年5月 畑の向かい側のエステ店の庭に白いネコがいた 「ニャーン」と呼ぶと矢張り鳴き返してきたが、そのまま去った さらに大きくなっていた
2,025年7月 畑で作業中、数回「グルグル」と聞こえたので顔を上げたら、そこにやはりあの子がいた 何回か鳴きあってから去っていった
2,025年9月 犬の散歩は最近コースを短縮していたが、一年ぶりに以前のコースを歩く ひょっとしたらあの子に出会えるかなと期待はあった 要所要所で「ニヤーン」と呼びかける 折り返してからすぐ、真っすぐ続く道の前方に白い何かいる こっちに歩いてきた あの子だ! 20m程近づいて横の田圃に消えた 犬を連れているので仕方ない 消えた地点まで行ったら畦道に蹲って待っていた 例によってお互い鳴きかわして分かれた ネコは私が曲がって見えなくなるまで見送っていてくれた  またあいたい


 人生ベスト朝メシ  書き下ろし  51 リク  2025年10月17日(金) 9:05
修正
85才 今までで一番うまかった朝食は何だったか ふと振り返ってみた
それは 2011.8.30 南アルプス北沢峠の北沢長衛荘になりました
1989年完了した「日本横断」を全コース単独化とする計画の最終コースで、三伏峠から仙塩尾根で仙丈岳への最終日 前日泊の仙丈小屋を5時に出て、7時過ぎに北沢峠に降りついた ここで「日本山岳縦走単独横断」が完了したのだ
北沢峠は人っ子一人いない 鳥の声ばかりの静謐な朝の冷気に包まれていた 長衛荘の煙突から煙が立つのが人の気配だ 生ビールがあった 今朝小屋で焼いたばかりのクロワッサンを肴に、テラスでジョッキ片手の朝食 うまい 実にうまい パンとジョッキをおかわりした 
想えば、1978年に中央アルプスの空木岳をスタートとして、33年を経ての日本横断で人生の目標だったのだ 完了の朝メシがうまいのは当然だ
画像
@1978 38才 中央アルプス空木岳 まだDWVのユニホームを着ていた
A2011 71才 静謐の北沢峠と長衛荘

 現役の近況その2  571中西  2025年10月16日(木) 14:40
修正
東山で行った読図講習の様子です。

 現役の近況  571中西  2025年10月16日(木) 14:29
修正
571中西です。
後期活動が始まりました。現役の近況をお伝えします。
10月の第一週は3回生の福田と2回生の米田が鳳凰三山に登ってきました。体力強化が目的ですが、この時期ならではの紅葉も楽しめたようです。
連休中は自転車班が琵琶湖周辺で初めての全体ツーリングを行いました。年末のハワイ遠征に向けて良いスタートを切れたようです。
またロングトレイル班は苗場に向かいました。上田コーチとともに上信越自然歩道も歩く予定でしたが、悪天のため断念。その代わりに百名山プロジェクトの一環として登った苗場山は晴天に恵まれました。
あと読図講習も行いました。本来なら鳳凰三山に登った福田、米田と合流して甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳に登る予定でしたが、悪天のため断念。せっかく予定を空けていたので、東山で地形図の使い方の実践練習を行いました。道中にあった校祖のお墓参りもできたので良かったです。
鳳凰三山の写真(2枚)、自転車、ロントレ班の写真を添付します。ご覧ください。

 十勝スタンド  初出し2012  51 リク  2025年10月14日(火) 9:26
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1961年2回生の夏合宿 Dwv初の北海道合宿だ 入山初日、十勝岳縦走尾根に登りつき大休止 そこは石積みの殆ど壊れた山小屋跡だった 北海道独特の大粒の霧雨を避けての休憩だ 床跡の瓦礫から太い針金が飛び出していた 気になって引っ張り出すと、フレームだけの錆びたランプの残骸だった 昔、登山者を明るく照らし談笑に包まれてただろうに、風雪に晒され廃墟に埋もれていたのだ 記念にキスリングに括りつけ持って帰ることにした 合宿に2週間、合宿解散後函館同期集合・宇都宮の49中川宅再々集結・東京の姉宅を経て、拾われてから一月後やっと京都の実家に納まった 20年ほど埃を被っていたが、ふと思い出し再生させることにした 500円で買ったままのシュロの編み籠をフレームにかぶせ、油タンクの底をあけて電球ソケットを取り付け完成
十勝岳から65年スタンドになって45年 遠く1300km離れた犬山で、今夜も甘く切ない青春の思い出を照らしてくれているのだ   

 1964年度生同期会  荒木彩子・  2025年10月13日(月) 23:00
修正
 10月吉日、久しぶりの同期会を開催しました。
 ワンゲルで4年間過ごしたメンバーだけでなく、途中いろいろな事情で途中退部したメンバーも加え、また亡くなったメンバーの奥様方にも声を掛け集まりました。(直前になって体調不良で2人が欠席に会ったのは残念でしたが、)
 初対面の人もありましたが、お互いの近況報告や昔話に花を咲かせているうちに、次第にみんなが昔からの知り合いのような不思議な絆が芽生えたように感じたのは私だけでなかったと思います。
 全員が傘寿を迎え、今年にないってから二人のメンバーが逝去してしまった今、会える時に会っておかなくてはとの思いが募り、これからはもっと頻繁に会おうということになりました。
 そして、夜久野の荒木の別邸は64年度生を中心とした夜久野クルセダーズ(草刈り十字軍)の思い出の地でもあり、来年桜の花の咲くころに是非夜久野で集まろうと約束して散会となりました。

参加者:140 片岡勲 147 佐野毅 153 吉田梢 158荒木彩子
    日野信子、 太田みち也奥さん、井上悠久雄奥さん

 森の番人便り 日高山脈ヒグマ事件  147 佐野 毅  2025年10月11日(土) 21:19
修正
岡本先輩から日高山脈ヒグマ事件の話がありましたので、捕捉しておきます。
実は我々DWVとの関連もあるからです。

1966年8月に夏合宿が北海道で実施され、男子4パーティが日高山脈縦走、女子1パーティが大雪山に入山、67名の部員が参加しました。

日高縦走パーティは大変な苦労を強いられ、4パーティ中行程を踏破できたのは1パーティのみで、3パーティは行程のなかばで撤退となりました。
50kgのキスリングを背負い最初は急峻な沢登り、ザイルワークも出来ない我々は滑落などで負傷者も出(大事には至らなかったが)、沢を上り詰めると強烈な根曲がり竹の藪漕ぎの急登(根曲がり竹はすべて谷側に伸びている)であった。

やっと稜線に出たら、中途半端な標高のためハイマツの背が高く3〜4mあり、上に乗って歩いて落下したり、下をくぐったりで行程が全くはかどらない。
夕刻になり昨日のテントサイトが数百メートル後ろに見えてがっくりの連日であった。又稜線は水場がは全くなく、水制限等によりパーティ全体の体力も消耗し出した。

目指すペテガリ岳は遥か遠く、戦前に早大隊がペテガリ岳冬季初登頂したことに触れ、「冬季のほうが楽やな」なんて話も出ていた。
こんな状況によりリーダーの判断で撤退した次第であるが、この下山の行程も大変困難を極めた。
このなかで第3パーティが強行下山したカムイエクウチカウシ山からコイカクシュサツナイ岳に至る八ノ沢カールが実はまさしくその4年後に福岡大学WV部3名がヒグマに殺された現場であった。

我々合宿の2年後に後輩たちが日高合宿のリベンジで再チャレンジし成功させた。
その報告を聞いた福岡大学WV部から資料の提供依頼があり、我々の資料とともに提供したとのこと。
この資料をもとに遠征した福岡大WV部の3名が亡くなった事件に我々は大変な衝撃を受けた記憶がある。

その後、2010年創立コンパ終了後に「1966年夏合宿合同同期会」を開催、当時の4回生から1回生まで28名が参加し、前代未聞の苦闘の合宿をしのびました。

1966年夏合宿の記録は「日高に刻んだ苦闘の足跡」として今年1月に亡くなった139井上悠久雄君が2010年に詳細にまとめ、合同同期会参加者に配布されました。

必用あれば機会を見て公開いたします。


 ヒグマは怖い  初出2020  51 リク  2025年10月9日(木) 10:56
修正
くまのニュースが多い 中でも北海道のヒグマとの遭遇は致命的だ 半世紀前になる1970年、福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の5人の夏合宿が日高山系であった 
7/25 カムイエクウチカウシ山の中腹テントを張った やがてヒグマが10m程の近くに現れた 珍しいので撮影してたりしていると、だんだん近づいてきた テントの外に置いていたザックをかき回しだす そこで慌ててラジオを大きく鳴らし鍋をたたくなどをして追い払った しかし夜にまた現れテントを爪で裂いた この時も大騒ぎをして何とかクマを追っ払った 見張りを交代でして夜明けを待った
7/26 朝3時ころテントを再び襲ってきた テントの内・外の必死の攻防だ 隙を見て下級生二人を救助依頼の為、テントを脱出下山させた 昨日同じクマに襲われ山行を中止して下山してきた鳥取大ワンゲルに、福岡大は出会っていた
それで福岡大の二人は鳥取大が張ったであろうテントを探し山を下った するとその途中で、昨日また同じくクマに襲われて命からがら下山してきた北海学園大の5人パーテイに出会った 同じクマに三つのパーテイが襲われたのだ 福岡大の二人はこの北海学園に警察への救助を頼み、テントに残った三人が心配なので急いで引き返した そのころ福岡大三人は、破れたテントを修理して300m上方へテントを設営していた クマが散らばしたザックも回収した 福岡大はこの時点でも山行を継続しようとしていたのだ
果たして16時頃、クマは再び現れた さすがに今度はすぐに北海学園の後を追ってチリジリに逃げ出した 五人は必死に逃げ続けたが、クマを執拗に追いかけ、夜になってついに追いつかれた一人が犠牲になった
7/27 朝になっても、バラバラに逃げる四人をクマは追い続けていた やがてリーダーが追い付かれ殺された 他の三人は彼の大きな悲鳴を聞いていた 一人は鳥取大が捨てた無人テントに逃げ込んだ だが追ってきたクマは、テントから3mに居座りニラメッコが続いた 彼の残っている手記は、翌28日午前3時で終わっていた 恐怖の48時間のクマとの逃避・対峙 悲惨な三人目の犠牲者だ
7/28 福岡大の残った二人は、北海学園に合流して下山 警察に救助を依頼した
7/29 猟友会10名の救援隊がこのクマをついに射殺した

クマは一旦獲得した物は本能で手放さない この場合ザックだが福岡大はそれを背負って逃げ続け、結果的にクマは追い続けたのだ 北海学園は襲われた時にザックもテントも捨てて逃げていた 鳥取大も最終的にテントを捨てている
まずクマに出くわしたら、山行は中止すべきであった 私の現役時はそうは真剣に考えていなかったが、当時は野生の動物が殆ど戦後の食事難で絶滅に近く数が少なかったから仕方ないかも 九州はツキノワグマもいない、ましてヒグマの恐ろしかは判ってなかっただろう
夢なら覚めよと願ったであろう3日間にわたる死の恐怖 若い命がこんな形で終わったのは、無念・残念で仕方がない  南無阿弥陀仏 
  
  

 詳細がよく分かりました!  寺石正温107  2025年10月10日(金) 8:35 修正
 日高である大学ワンダーフォーゲル部がクマにやられたことは知っていましたが、いい加減な記憶であったことがよく分かりました。
 何故初めに遭遇した折に下山しなかったのか?「もう来ない」と思ったのでしょうか?
 岡本先輩の話、今後とも楽しみにしていますのでよろしくお願いします。

 わびすけ     初出2018  51 リク  2025年10月6日(月) 18:11
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径10cmほどの丸い鋳物の灰皿があった 小さいがずっしりしている フタは木の葉形の二つの穴があって、岡本太郎の太陽の像の顔みたいだ
彼は私の移動した80年、京都・広島・名古屋・犬山・鴻巣・新潟・犬山・京都・犬山と私に就いてきた
37才でタバコはやめたが捨てられなんかった
彼のふるさと実家は、同志社烏丸正門前にあった「わびすけ」だ
その喫茶店「わびすけ」の歴史を調べた 
大正初期、同志社今出川門の新島穰の石碑「良心の・・・・」のあたりで「中井ミルクホール」が創業された 創業者は画家の中井及泉で、彼の親は新島夫人や同志社女子大創立のダントンのお手伝いさんだった ミルクホールは学生や教授の憩いの場として人気があった 同志社の発展拡大で、同志社烏丸正門の向井の烏丸通りに移ったのだ
第二次大戦中は「中川食堂」として名物料理イモネギを発案して、店をつないだ
1957年及泉が「わびすけ」と名付け、四代・100年・京都1.2の古さの喫茶店だったが、2011年閉店になった 2018年年は「わびすけビル」して名が残っている

ワンゲルと「わびすけ」は、部の例会で教室が借れない時会場に使ったが、コーヒー代が苦しい時代だった お店は薄暗く丁度古く何となく高級感があった
木造なので階段と二階床板がミシミシきしみ、よくマスターから怒られた
三回生で水曜日限定の仮部室ができてから、プライベートのみになった
1985年春 息子達の大学選考の為、同志社を案内した その時「わびすけ」に行き、マスターに「おたくの灰皿がひとつ犬山で預かっています」と言って了解を取った
PS 終活で2020年から115野中氏に引き取られています

   


 古いドイツの絵葉書  初出2012  51 リク  2025年10月4日(土) 11:47
修正
1959年一回生の夏からバイトを始めた 学費は親が出してくれるが、部活費や遊び代は自己負担が入学前からの約束だったからだいろんなバイトをしたが私の都合のいい日だけの出勤できるバイトを見つけた ビルの清掃会社で、得意先は専売公社や府立病院などがあった 暫くしてバイトの昼休みに作業員の前で、 同志社大学のワンゲルと自己紹介した 当時ワンゲルは世間に全く知られてなかった 早速部から教えてもらったばかりの目的・歴史・活動等を熱く説明した すると作業員で角刈り・黒シャツ・50代のオッサンが「オレ知ってるぜ 絵葉書持ってきてやるよ」と言ってきた どうせ勘違いして変なものだろうと思ったが 二三日して「オレが持ってるよりお前が持ってる方が、ハガキも嬉しがるだろうよ」と格好よく言いながら一枚の絵葉書をくれた 19世紀のドイツの若者が、ギター片手に旅をしている絵で、タイトルがワンダーフォーゲルとあった オッサンが学生の頃、古本屋で手に入れたそうだ
角刈り・黒シャツの清掃作業のオッサンが、20年もドイツのワンゲル絵葉書を持ち続け、それが今ひとりの大学のワンダラーに渡ったのだ 奇跡、運命に感激した 
オッサンの人生にすごく興味がわくが、それを聞き出す勇気はまだ無かった

PS このハガキは終活で今、442大西君の手もとにあります

 素晴らしい!  寺石正温107  2025年10月4日(土) 16:04 修正
いつも素晴らしい話をありがとうございます。
その上連載をしていただけるとは!

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