HOMEDWV OB掲示板検索
名前
題名

内容
画像1
画像2
画像3
画像4
修正キー (英数8文字以内)

 やまといきもの U  初出し2020  51 リク  2026年3月7日(土) 19:45
修正
★鵺(ヌエ) 渓で夜 滅多に聞かない声 ヒエ〜ヒエ〜ヒエ〜 悪魔の口笛 姿が見えず正体が判らない 昔から妖怪〔鵺〕と恐れられていた 本体は夜行性の鳥「トラツグミ」だ
沢の奥でツエルトの一人の夜 この声は怖い 鈴鹿で時にあった
★貂(テン) 1988光岳の下りで道を失った 翌日正規の道を探し求めていた時、ほん近く2m下を私に着いてくる物がいた 猫ぐらい、明るいクリーム色、顔も可愛いい ハードな山行の後なのか、なぐまされた
★猪 1960年 二回生の秋合宿のこと 初雪の朝、ドドウッと突然4m程の前に親子8匹の猪が現れた ウリコを連れて母猪が必死に見える そっと見送るが実は怖かった
★猿 鈴鹿・上高地・槍沢・乗鞍・屋久島などたくさん出会った 初対面は怖かったが二回目からはかわいい
★海猫 山ではないが、利尻で登山口を探してた 海岸の村外れの荒れ地で海猫が群れ飛んでいて、草むらには巣が一杯あった コロニーだった こんな村の家の裏地にあるのに驚いた
画像 海猫コロニー

 こぶしの会3月例会 大阪城  荒木彩子・  2026年3月6日(金) 12:07
修正
3月5日(木)、大阪城の梅林へ行きました。寒の戻りで風は冷たかったものの雲一つない晴天に恵まれ、残念ながら梅は見ごろを過ぎていましたが、大阪城はやはり大阪のシンボル的存在、豊臣時代栄華を留める天守閣はどこから見ても春の陽に眩しく輝いていました(今の天守閣は昭和6年に市民の寄付で建てられた)。梅林からNHKN大河ドラマで一躍人気復活の秀吉と秀長を祀る豊国神社を参拝、どこかでお茶をしようとカフェがあると聞き天守閣前にある元陸軍第四師団司令部のレトロな洋館建へ行くが満席。大手門の有名な巨石を見てその歴史を学習、谷町4丁目駅付近でやっと席が空いたカフェを見つける。現金支払いが出来ないとのことで年寄りは四苦八苦でしたが、何とか腰を下ろして歓談のひと時を楽しみました。期待していた観梅ウオーキングは出来ませんでしたが、大阪城の歴史を学んだ有意義な一日となりました。
参加者: 64蜂谷、71桜井、111藤井、123池田、153吉田梢、
高畠、日野、三輪、158荒木、

 やまといきもの T  初出し2020  51 リク  2026年2月25日(水) 9:57
修正
1960年頃山で野生動物の姿は、殆ど見られなかった それは戦時戦後の食糧難で人が食ってしまったからだ でも2000年頃には、山はおろか町でも見かけられるし、危害を受けたり食害に会いだした クマ・鹿・猿・いのしし等すごく増えた 対応として猟師の育成、猟師の職業としての補助、ジビエの普及及び販売ルート育成などが考えられる 外国で採用したオオカミの導入は、日本では国土が小さい為害獣を増やすだけになる 適正な数の間引きしかないように思える
★鹿 1961年秋 大峰PWで毎晩尾根筋に張ったテントの横をドタドタを追いかけっこをし、カーンカーンと角の突っつきあいをした 大峰と言う大きい山域に我々三人だけの世界で、自然に囲まれている感覚に浸れた
 同年の北海道夏合宿で、汽車の窓から広い荒野を駆けるエゾシカの群れに、皆が歓声を揚げた思い出もある
 それが2016年 単独での同山域で 濃いガスでエレキを点けるような暗い昼
突然白く輝いているような森が出現した 地上2.5mまで鹿に樹皮が剥がされ喰われてしまい裸の木肌が白く光っていたのだ 裸にされた木は3.4年したら枯れる それから近い山道で今度は鹿の角を拾った 半世紀で如何に鹿密度が高くなったのかが判る
★犬 先の大峰PWでのこと 山に入って二日目からずっと附いてくる柴犬がいた 時々現れ食をねだった 峰号と名付ける 処置方に困っていたが、平治の宿で同宿になったガイドをしていた猟師が引き取ってくれた ハグレ猟犬は又ハグレると言っていた
★山犬 捨て犬やハグレ犬が群れて山で自活繁殖するのが山犬だ 1980年大峰単独行でのこと 持経ケ宿に着いた時、小屋前の水場に6.7匹の大きな犬が屯していた オオカミ生存話のある大峰だ 私を無視、悠々として貫禄・威厳もあって正直怖い 私は小屋へ飛び込み、慌てて戸を閉めた 大きいリーダーが暫く戸口をウロウロしていた 水場に私が行ったのは、群れを見なくなって一時間後だ やがて満月とブッポウソウの声だけの、山姥が出てきそうな静謐な恐ろげな夜をひとり迎えた
★ブッポウソウ 夜 奥山で「ブッ・ポウ・ソー」と聞こえる 姿が見えず古来恐れられ「仏法僧」の字を当てていた これはコノハズクで、ブッポウソウは全く別の渡り鳥で存在する でもそのことが判明したのは、1935年で最近なのだ
画像は「峰号」の雄姿 

 マロリー&アービン  51 リク 初出し2020  2026年2月17日(火) 11:01
修正
「そこに山があるから」と言うワードは、子供のころから聞いている それを言ったマロリーの遺体が1999年、相方のアービンが2024年に発見された 75年・100年たって登山史上最大話題の遺体が発見されたのだ 
 2019年TVドキュメントでショッキングな映像があった 1924年エベレスト遭難ジョージマロリーの遺体だ 偶然2018年に1997年発刊ベストセラーで映画化もされた夢枕獏の「神々の山巓」を、読んでいた エベレストで行方不明になったマロリー、その初登頂証拠になるカメラをめぐるサスペンスが内容 
 私の少年時代からの謎・夢、いや今でも謎夢なのだ 地球最高峰の初登攀はあったのか 1924年BCから山頂直前の相方アービンとの姿を見られたのが最後、行方が判らなかったのだ 
 1975年に中国登山隊が8100m付近の西洋人遺体を見ているが、進展はなし 遭難から75年後の1999年その探索隊が、遺体を再発見したのだ 遺体はまだ柔らかく肌色で生々しい 衣類や靴や腰に巻いたザイルも残り、シャツの襟にG.Malloryの刺繍があった 8000mで氷・風に75年曝され続けた遺体なのだ
 ところが2024年9月 なんと相方アービンの遺体が、遭難から100年して発見されたのだ でも氷河のパワーで、山靴に残った左足首だけだ その靴下にはやはり「アービン」の刺繍があった
 
 近年の地球温暖化で氷河が溶け各地で続々遺体が発見されています 
 未発見者を含め やすらかに成仏されんことを願います

画像の掲載は遠慮いたします

   ビバーク集 U 51 リク  2026年2月16日(月) 10:19
修正
G1988.5.20 南ア 大井川鉄道千頭駅
 千頭駅に21:40到着 駅のホーム手前のベンチで寝た 夜中の2時、頭の上でコケコッコーと大音声 ビックリして起きた 駅長が飼ってる雄鶏の鶏舎がそこにあったのだ そのまま起きて、計画を変えて寸又温泉へ歩き出した

H1988.5.27 南ア 大井川鉄道駿河徳山駅
 先週Gで失敗したリベンジで、太平王を目指す 21:30無人駅の駿河徳山の駅舎内のベンチに寝る アルコールを忘れて寝られない 2時に起床して歩きだす
太平洋まで85kmだ 画像@太平洋到着

I1988.8.11 南ア JR飯田線伊那大島駅
 22時伊那大島駅着 屋根のある貨物線ホームに寝る 15.6人仲間がいた 夜中単独者がテンカン発作 救急車を呼ぶが彼は大丈夫と帰えしてしまった 明日のコースも一緒で心配だ
 
この年はビバークが6回 全部南アルプスだ

J19915.4 北ア 濁河温泉
 田ノ原から御嶽山 飛騨頂上の小屋跡でビバーク予定だったが、雪に埋まっていて不可能 濁河温泉に急いで降りた 連休で宿は満員 うどんをすすり乍ら店の親父と話していたら、ワンボックスカーを一晩貸してやると言ってくれた
温泉にも入り、人情にも温まれた一夜だった
画像A御嶽山噴煙 

 

 ビバーク集 T  初出し2015  51 リク  2026年2月15日(日) 15:22
修正
私の山行にはビバークが付き物だ 原因@ビバークを何とも思わない・初めから計画しているのもある A一人用のテントを持ってない B悪天候も何ともないし、今まで天候では沈殿したことがない C楽しい Dサバイバルに自信がある

@1979.9.23 鈴鹿 宮指路岳(クシロダケ) 下山中の山中
 4才・7才双子・奥さんの家族全員5名 山行を再開してまだ二年、技術、経験不足が原因でコースミス ルートを見つけたが時間切れで暗くなる 麓にはまだ3時間はかかる おやつと水はある 草地に座り込み、夜明けを待った 小雨が降り出し、子供たちを抱きかかえる 夜が白んできたときはさすが嬉しかった すぐ歩きだし駐車地に6時到着 月曜の朝なので保育園、小学校、会社に欠席の電話をする 画像@車まで無事帰還
 
A1985.4.28 南ア 北岳 肩の小屋
 5月連休前日なので当然小屋は開いてると思いこんだのが原因 雪で小屋はまだ埋まっていた 小屋の外のトイレを見つけ、扉は外してあり雪が詰まっている 急いで雪を掻きだし雪ブロックを作って壁にして、見つけた板切れで座面と背当てを作った 衣類を着こみ、シラフに靴・水筒を入れてキスリングに突っ込む 満月が青白く照らす景色の中、時折風で飛ぶ氷ツブが小屋の前の鐘をチーン・チーンと鳴らす 異世界に来たような中でウツラウツラ3000m雪のビバークだった

B1985.9.14 北ア 針の木岳 頂上
 星を肴のウイスキー、3000mビバークを企画 満天の星空をバックに、黒く浮ぶ山山 その同定で肴が増えた 遠く槍の肩の小屋の明かりがひとつ見えた
画像A 黄色のマルキルにウヰスキー・ビール缶の上にデザートのリンゴ・メインデイナーは鍋焼きうどん

C1986.5.1 南ア 北岳 白根御池手前
 夜叉神峠から広河原で北岳を目指す 広河原迄の林道で足裏がすごく痛む  広河原から一時間登ったが、我慢できず、ここにビバーク 翌朝山行中止決定 幸い林道半分ぐらいで車に拾われ夜叉神へ 息子が残したスニーカーを履いたのだが、靴底がデコボコになっていて足が痛いのだ でもそれが判るのが、二年後の太平洋を目指した時になったのだ 

D1988.4.30 南ア 島田市金谷 巌室神社
 JR金谷21時 駅近くに宿がない町外れの神社の軒下を借りた 夜中ずっと島田市を暴走族が走り回り、いちゃもんが心配で寝不足
画像B巌室神社

E1988.5.3 Dの三日後 光岳 椹沢下山中
 光岳から下山中 雪のトレースにつられ集中を欠き、分岐点をミスる 南アルプスの最深部、全くの原始の山中雪上ビバーク 夜半までかかりビバーク地の同定をする 翌朝、水平ヤブコギ一時間で、ルートに戻る
画像Cコースミスに気付いた瞬間

F1988.5.4 Dの4日後・Eの翌日 寸又温泉 バス停
 昨夜のビバーク地から3時間で林道に出た 23kgのキス、雨中40km11時間のロード 20時温泉着いたが宿は満員 バス停のベンチ二本をくっ付けベッドに ビールと非常食の夕食 翌朝、浴衣姿の温泉客の下駄の音で起きる この山行5泊中3回ビバークになった 
 
横田さんの喪に服して、7日間投稿自粛しました 

 同志社創立150周年記念ホームカミングデー、大懇親会、41会 同期会  北濃 登美男  2025年11月13日(木) 21:41
修正
11月9日(日)同志社創立150周年記念ホームカミングデー、大懇親会に参加しました。10:30オープニングセレモニーグリークラブのカレッジソングに始まり、
小原学長と資生堂魚谷雅彦氏対談、真山仁氏パネル、応援団演舞等盛沢山の催しがあり、その後校友会の大懇親会が開催され、関東からも旧知の友が沢山参加しておりました。
その日の夕方は千里中央にて同期会(S41年卒)野中、藤井、波多野、本田、こぶしの高畠さん6名、皆さん変わらず元気で良かった。来春にまた会いましょう。

 横田さんを偲ぶ U  51 リク  2026年2月9日(月) 13:10
修正
私の横田さんと言えば「酒」です その話を少し
★1960年御嶽秋合宿を中央線藪原駅で解散式をした 私・高須他二名で京都までヒッチ予定で次の駅木曽福島へ来た 別れたばかりの横田さんらがいて、夕飯を一緒に呑みだした その後の記憶がなく翌朝目覚めたとこは、構内の引込線の軌道内だった レール内の枕木に寝ころんでいたのだ 貨物の引き込み線で夜間に列車移動が無く助かった 同期四人は、その後無事ヒッチで京都に到着した
★同年の総会が労働会館であった 私は部の用事で少し遅れ、横田さんの近くに座った 横田さんは「おい岡本 皆に追いつけ」とビール大ジョッキ3杯を一気飲みさせた おなかは満杯、喉まで冷たいものがチャプチャプした すぐトイレで思い切り吐き戻して、後はゆっくり飲んだ いくら何でも大ジョッキ3杯一気飲みは物理的に無理だ
★その頃、ドブロクはまだ屋台でコッソリ飲めた 横田さんに誘われ初めて呑んだのは、京都の川端通りの屋台だった ジョッキでの上澄みだが、酸っぱくてそれほどでなかった 10才頃疎開先の田舎で味見経験はあった
★1960年正月2日 一回生だった私と48市田と思い切って横田さん宅を訪問した ご家族は留守だったので、翌朝まで三人で酒盛りを続けた
★2024年3/23 お互いもうサシで呑む機会がないと思い、62年ぶりの横田宅へ呑むだけの目的で行った 朝10時頃着いたが、挨拶抜きでいきなり「まあ 呑めや」で始まった 息子の漢さん孫の蓮さんも加わって、15時退出するまで懐かしくも楽しい時間を持て、最高の一日がそこにありました
 卒業後私は京都を離れ転々とした それでWVは節目の総会参加だけだったが、2004年から市田橋立林間学校に入学、続いて明徳会にも参加して横田さんと飲む機会が年2.3回できた 大学時代横田さんは、アイツは酒が強いと聞くとツブスのが趣味のようで、よく呑み相手をさせられたのだ 良き先輩・師・兄貴・仲間・友だった
 酒以外のこと
要らなくなったもの、わたし的なもの等を一方的によく送られてきた 因みに覚えているだけで@遠苅田温泉こけしA新品米国製カウボーイハットB計算尺C花札D徳利4本E猪口3ケF「中国思想」全集他書籍60冊Gミニボトル洋酒6本H39河原さん同大生協証・横田さんWV部員証・59和田の質札Iアレキサンダーカルダー大作版画Jポスター3枚K渓流釣り用具一式L蝉、トンボ紙細工など
 手紙のやり取りも多く、センスとユーモアがあって素晴らしい文で、全部残しています 7年前の頃、年賀状を止めるが受けるのは歓迎とあって、私は賀状を出し3.4日遅れて返信があるというのが続いていました 画像@は2024年Aは2025年の賀状の返信 @は「来い」Aは「また来いよ」と言う意味 住所が難しい云々は、私の住所の橋爪論出(ハシズメロンデ)の読み方のことです @のあと3月23日に吹田のお宅へ押しかけました(2/7掲示板画像C)
2026年はやっぱり返信がありませんでした
 

 訃報  51 リク  2026年2月7日(土) 11:06
修正
第4代主将 No37横田正明さん 2月3日お亡くなりになりました

昨年11月から入院されており大往生で、昨日葬儀もなされた由、ご家族からの連絡がありました

   大西(442)  2026年2月7日(土) 12:08 修正
岡本さん、ご連絡有り難うございます。
(お電話ありがとうございました)
あらためまして
横田先輩の御冥福をお祈り申し上げます

 横田さんを偲ぶ T  51 リク  2026年2月7日(土) 11:27
修正
現役時代より卒業してからの方が親しく付き合いさせてもらっていました 思い出は尽きません 良い先輩・仲間でした

@「海の男達」 2004年8月 48市田天橋立臨海学校にて
A 臨海学校のデイナー     〃   2006年8月
B 明徳会   2019年
C お宅訪問サシ飲み会 2024年3月 

 ちーむみやけ 2 月度活動報告1   175 片田  2026年2月7日(土) 9:36
修正
活動地   雪のマキノ高原
活動日   2月1日(日)
参 加   170笹田 175片田   
天 候   風もなく雪チラチラ  
食 当   片田 和牛のしやぶしやぶ、煮込みうどん
 
 東北、北海道ではとんでもない大雪にご苦労なさっているとの報道しきりですが、雪のない堺の八十爺が雪見雪遊びがしたいと京都・夷川の笹田邸に前泊、朝早々から出かけました。

 笹田はやる気満々、新しいスノーシューを買って、あと5年は無理でもあと3年は行くぞと意気込んでの出発です。。
 
写 真@ スキー場から赤坂山、寒風方向、10年程前は雪をものともせずピークまで行きましたがさすがに今は無謀、今日は雪遊び。
写 真A スキー場から離れて山に入るとスノーシューラッセル
写 真B スキー場から離れて山に入るとスノーシューラッセル
写 真C 進むほどに突然巨大な雪のキノコが出現、なんだこれは?

 ちーむみやけ 2 月度活動報告A  175 片田  2026年2月7日(土) 9:30
修正
写 真D 近づくと雪に埋まりかねない休憩スポットでした。
写 真E これ幸いと休憩スポットで昼ゴハン。高齢者向けの柔らかい霜降り牛肉のしやぶしやぶとエビとホタルイカに野菜たっぷりの煮込みうどん、これも楽しみの雪遊び。
写 真F 笹田、雪の壁に挑む。
写 真G たっぷりの雪見、雪遊びに得心しました。

雪を楽しみスキー場に戻るとここには嬉しくも温泉があり、あったまりました。


 ある想い  51 リク  2026年2月4日(水) 9:36
修正
1/31掲載屋久島で「山行はこれで終わりにする」と言ったが、これは最後の下山で今まで経験した事の無いバテ方をしたからだ ☆ホルモンがん治療で代謝が落ちた☆トレーニング不足☆塩分不足等原因を探したが不明だった 2026年の今、あれは単に肉体の衰えだったと思う 山行はキッパリと諦めていたが、2017年77才で東海自然歩道ラリーが始まり誘われ参加した 同期の46福留が関西で、49中川が東京で参加を続けているので、私も東海の意地で結局10回参加した 2023年の最終ラリーも83才の三人は参加した でも福留はその2ケ月後に急死したのだ
後日談があって、昨年4月ころ奥さんから手紙があった 夫政照の最後に歩いたコースを歩きたいので、ルートを教えてくれとのこと 301佐々木氏にコースを聞いて連絡したが、そのまま忘れてしまっていた 11月になって富士山の写真を同封した手紙がまた来た 11月6日あの最終ロードの日、奥さんは歩いてきたとの報告だった 
福留政照 君はしあわせだ 最後にワンゲルの仲間と歩き、奥さんにはこんなに愛されているのだ

 福留さんの話  301佐々木道生  2026年2月6日(金) 5:42 修正
岡本さんのアドベンチャー、スーパーマン振りには心から敬服しています。
もっぱら四輪に頼る高地巡りだけの小生にはとても真似できません。恐れ入りました。

福留さんの奥さんのお話、良かったですね。本当に歩かれて嬉しかったです。
参考に提出した写真付きのレポートが懐かしかったので見直しました。
https://hyakkei.me/articles-800/

 DWV61会新年会  寺石正温107  2026年2月1日(日) 9:31
修正
例年通り北新地の「串庵」にて開催した。卒号以来60回目か?
参加は、古木、正中、池端、太田、日下部と小生の6人。埼玉の下地は転倒し肋骨損傷の為不参加。西知は所在不明。14人中6人が物故、年々寂しくなるが参加の全員は何とか生存している。
 会は終始(いつも通り)健康問題に始まり、子供や孫の話、同志社の現況、出身高校の全国大会出場等々とりとめのない話。適当な時間で再会とお互いの健康を気遣って解散した。(写真は忘れてしまった)→最近多くなって困る。 

 屋久島・永田岳  2013年 72才  51 リク  2026年1月30日(金) 10:07
修正
1959年の秋合宿の傷が治らず、1960年春合宿屋久島に参加できなかった 参加した同期全員がワンゲル4年間でベスト合宿と言う 2013年、58高須が誘ってきたので、飛びついた 世界遺産になってから登山者がすごく増えた そこで古道を探したら、登山禁止とあった廃道の宮之浦岳のルートに益救(ヤク)参道を発見(昭文社地図不記載) 下山は永田岳から大川へ殆ど使われてない花山歩道を採用 小屋は全て無人なので、食料・テント・フル装備で一人20kgになった 72才にはつらかった
47林の希望で高須夫婦と友達の屋久島観光に組み込んだので、私と高須が先行山行して後発の観光組に合流する企画だ

5/18 伊丹空港で高須と合流して屋久島宮之浦へ 屋久島は明日も雨予報 益救神社参詣 
5/19 タクシーで益救登山口まで コースは荒れているが古い赤テープが残っている 人口の気配なく、ヤクサル・ヤクシカの歓迎を受ける 荷が重く三神杉に予定より3時間遅く15時到着 高塚小屋17時 満員なのでデッキにテントを張る 遅い時間なので我々二人だけになった縄文杉を静かに対面できた 
5/20 雨水がデッキなのでテントに流れ込んできた 朝には天気回復 7時出発 焼野三叉路から宮之浦岳ピストン 縦走路は石楠花が満開だ 永田岳の登り、ヤクシカが先導してくれた 鹿之沢小屋16時 客は永田からの二人だけ
5/21 花山歩道は、屋久杉に加えハリキリの巨樹の森・花山広場の泉等々南国の原始の山を楽しむ でも年のせいか下りなのに20分ピッチでバテバテ 相方に迷惑を掛けた 林道に高須の奥さんが、車で迎えてくれ助かった 尾之間温泉で林とも合流
翌日みんなと観光 私だけ23日に島を離れた 林は長い闘病で弱っており、高須がそれを考慮、私を誘い林も希望の屋久島行きを企画したのだ 林は、2015年2月に没 いろんな想いはあるが、素晴らしい旅だった 私の山行もこれを最後にした
画像@無名の屋久杉 益救参道にて
 A永田岳の先導鹿 左上頂上
 Bハリキリの森 左下に小さく高須がいる 花山歩道にて
 C千壽滝 左から58高須・47林・51岡本 

 利尻山 2011年 71才  51 リク  2026年1月29日(木) 15:23
修正
北海道オートキャンプ中の利尻山 利尻島と稚内のフェリーは一日2便でキャンププランでは、下山して13:30に乗らねばならない すなわち半日で山行終了するのだ 利尻山は夏合宿の解散後に行きたかった山で、50年ぶりの憧れ山行になる 島の人は利尻山を愛していた ストックの石突禁止(必ゴムカバー)・野キジ禁止(携帯トイレ必携)・登山口での靴消毒・入山者自動計数等々 
7/20 犬山発軽井沢 7/21→厳美 7/22→洞爺湖 7/23→襟裳岬・本日誕生日 7/24→釧路湿原 7/25→上湧別 7/26→宗谷岬 7/27→利尻島鴛泊

7/28 3:20出発 奥さん愛犬に登山口まで送ってもらい、3:40エレキを点けて山行開始 甘露泉で水確保 5時、前が見えない笹薮で突然母子と鉢合わせ、ビックリ!なんで朝5時、ここにおるんや! 7:30、8合目着朝食 頂上まで滑るザレ道で苦労して9時頂上 フェリー時間の為すぐ下山 一気に降りて、甘露泉を一気飲み、まさしく甘露 12:30登山口で出迎えたくれた奥さんと犬に合流 13:30フェリー乗船 この日は鏡沼のロッジに泊まり、温泉を楽しむ

7/29→小樽→岩内→歌才→奥尻島→上ノ国→函館→青森→那須→8/4犬山 
7/20〜8/4 走行距離4700km 16日のオートキャンプ中の山行でした
画像@8合目からの利尻山
  A8合目イブキトラノオの群落
  B頂上 
     

 北岳 池山吊尾根2  51 リク  2026年1月25日(日) 15:24
修正
画像がないので、30年前を思い出して1995年4月30日の夜を描いてみた
部屋も食事・電気もまだ準備できてない スタッフの部屋の前の板張り縁先でシラフに入った 枕もとを大きなネズミが何度もウロウロした ネズミは半年ぶりの御馳走の臭いで舞い上がっていたのだ 酒盛りが続いていたが、私は疲れですぐに爆睡した

 北岳 池山吊尾根 1995年 54才 初出し2017  51 リク  2026年1月24日(土) 14:30
修正
夜叉神峠→池山御池→北岳→白根御池→広河原→夜叉神峠
埼玉県鴻巣に3年前から単身で赴任 5月の連休は例年犬山へ里帰りする その途中下車での山行 日本三大吊り尾根で池山→北岳だ 山はご無沙汰なのにハードコース で20日間トレーニング、スクワット150・腕立20・腹筋20等々
4/29 鴻巣5:30、夜叉神峠9:30着 まず鷲ノ住山に登ってから野呂川へ降りた 歩き沢橋を経て池山御池小屋へ17時到着 直ぐ水確保の為沢へ40分の往復 小屋は無人だが新しくきれいだ 誰かの残した賞味期限キレのチョコを肴にウヰスキー 激しい雨、タッパーや食器で雨水500ccを得た 寒く寂しいので小屋に有った古紙を全部燃やす
4/30 小雨、温かい アイゼン・カッパ着装で8時出発 雪が腐っていて歩き難く雪のトラバースに神経を使う 八本歯の下りでは、バテバテになった どうにか4回目の北岳頂上を踏んだ 肩の小屋18時着 昨日が小屋開きでスタッフ5人と黒犬一匹だけだ 食事・布団もまだ自前 しばらくぶりの山行それも池山吊尾根の北岳、すっごく疲れた 親父が「こっちで一緒に飲もうや」と言ってくれたが、断りすぐ寝た 人生で酒を断ったのは、後にも先にもこれだけだ
5/1 雨、8時発 広河原小屋12時着 小屋は開いているが誰もいない ドシャ降りの軒下で、パンと自販機のビールで昼食 4時間の雨中ロードで夜叉神峠に17時着いた 20:30無事犬山へ郷帰りした
連日の雨で画像はない

 富士山 1989年  51 リク  2026年1月21日(水) 13:54
修正
日本で山と言えば富士山 今まで無視してきたけど、ここらで登っておこうかと思った ただ登るだけじゃつまらない そこで「日本横断」と繋ぎ、スタートはやはり海抜0からだ 1989年富士吉田から頂上、駿河湾から愛鷹山と登った また会社関係の3人をガイドして頂上にたっている
 ★吉原→須津→愛鷹山→十里木→御殿場
5/3 海抜0山行 駿河湾吉原から歩き出したが、2時間後はまだ標高100mだ 雨の林道を歩いて、16時無人の須津山荘着 5歳ぐらいの父子連れと同宿 
5/4 4:30発 展望台で今回初の富士山 真っ白で神々しい 袴腰岳を過ぎて位牌岳にテントが張って有り一人だけが崩れがっかり 鋸岳・割石峠を経て十里木に12時着 この後次の山行を偵察しながら、御殿場から吉原に戻る
 ★富士吉田→5合目佐藤小屋→頂上→富士吉田
6/17 山開きを待ち、残雪の富士山に向け5時出発 吉田の富士急ホテルに車を置き、浅間神社にも詣で9時いよいよ富士山へと歩き出す 自衛隊演習地の砲声と大量の蝉の声がうるさい バイク・四駆・ジョッギングとにぎやかな林道で集中できない 13時佐藤小屋到着 同宿の昨年の富士マラソン優勝の若者と飲む
6/18 5時発 ブルトーザー道で7時8合目 佐藤小屋のオヤジはスニーカーでも可と言っていたので、軽アイゼンしか持ってこなかったのは失敗だった 強風で寒い、山頂に12時到着 お鉢回りは誰もしない 剣ヶ峰の測候所に着いたが、誰もいない留守だ 15分待って帰ってきた所員にガスで見えないので三角点を教えてもらう 溶岩のかけらを見上げにお鉢巡りを終了 下山は9合目を過ぎてやっとガスが取れ、左にかなりコースミスに気付く その時、尻セードで滑り出して直ぐ転倒そのまま滑落する若者をみた 500m程滑落、巨岩に当たる直前に止まった 彼はすぐ起き上がり、何事もなかったように歩き出した ヤレヤレである
軽アイゼンは不安、慎重に降りて、8合目に13:30到着 5合目最終バスは15時 コースタイムは3時間だが、ここから雪も少なく走って降り間に合った
 ★5合目→8合目小屋→山頂→富士宮
富士山山行を会社で言っていたら、社長夫人を案内することになった 社員1200人上場企業の社長夫人と上司二人をガイドするのだ 夫人は60代登山経験ゼロ、安全のため、毎日しているジョッギングで先頭を続けられたらOKの条件を出した ひと月して条件クリアの手紙をもらい、断れなくなったのだ
8/3 当時単身赴任中だったので新宿に集合 バスで富士山5合目へ ここでこのパーテイのリーダーは私であり、絶対服従だと宣言した 8合目の小屋に17時到着 持参のラム酒で大酒盛り 夫人がよく飲むのに驚く
8/4 同宿者は全員山頂のご来光の為1時頃出発 我々は3時出発、途中でのご来光だ 夫人は大感激 吉田頂上無事7時着 帰りは口笛も出て、須走りは文字通り走る元気だ 夫人には敬服した
PS 「日本横断」コースに繋ぐプランはちょっと無理、諦めた でも日本3000m超は完了した
画像@愛鷹山(アタカヤマ)からの富士 5/4
 A富士剣ヶ峰 6/18
 Bご来光 8/4
 C会社パーテイ 1/10記載の槍北鎌尾根同行の吉岡氏は右から二人目

 

 京都人の密かな愉しみ  301佐々木道生  2026年1月20日(火) 5:51
修正
 NHKBSの日曜22時から京都のあれこれをドラマ仕立てで紹介する番組をやっています。久楽屋春信(俵屋吉富)の跡取り娘が洛志社大学院生という設定で今出川キャンパスの今の風景を見る事ができます。実在の店などが微妙に名前を変えて登場したり、京都の風景がいろいろな場面で映されます。
 私は第2話から観ていますがドラマ仕立てながら結構面白いです。翌土曜日の夜に再放送もされるようです。 ご興味があれば一度どうぞ。
 https://www.nhk.jp/g/ts/4Q5QJM2PR6/

 北岳 1985年4/28〜30 44才 初出し2017  51 リク  2026年1月17日(土) 18:24
修正
夜叉神峠→広河原→北岳→御池小屋→広河原→夜叉神峠
残雪期北アを何回か経験して自信があって、南アを正直軽く見ていた その顛末
4/28 犬山4時発 夜叉神7時着 峠に車を置き、夜叉神トンネルを歩く 途中他のパーテイのトラックに1000円で乗り合う 広河原8時 北岳が巨大な純白の塊で現れた 感激と恐怖 荷は20s、ワクワクしながら白根御池小屋12時着 北岳が頭上高く神々しくも白く輝く 草付きで二人の下山者、登は私だけ 5時間かけ17時前に稜線に出た 強風と日没に追われ肩の小屋へ急ぐ 突然予想外の風景を見た 雪に埋まって屋根だけの肩の小屋だ ゴールデンウイークの前日、28日は当然小屋は開いてると思い込んでいたのだ   
慌てずでも急いでビバーク場所を探す 戸が無く屋根・壁だけの雪に埋まった外便所を発見 雪を掻き出し座れる空間を確保 風よけの雪ブロックを横に積み、見つけた板を背当てと座面にする 18時、3000m南アルプスの雪のベッドが完成 水の確保の為ホエーブスに火をつけるのだが、強風でマッチを殆ど使い切った これで明日からの縦走は中止決定 おにぎり・紅茶・ウイスキーで豪華なデイナー 靴は凍結予防で履いたまま、水筒もシラフに、有るだけを着てホッカロン キスリングにシラフを入れ、座った姿勢で寝る 寒くはないが尻が痛い、うとうとすると背中がゾクゾクだ
小屋の前に吊るされた鐘が、吹き飛ばされた氷ツブで、時折チーン・チーンと澄んだ音を響かす 満天の星空・煌々たる満月・それに照らされた異界の光景 幻想の世界の様だ
4/29 3:30起床 天の川が北岳に架かり、北ア・中央・乗鞍・八つ・富士が、満天の星をバックに黒くシルエットに浮かぶ 
北岳をピストンして戻った時、小屋開けのスタッフが4.5人登ってきた 入れ違いで下山 8時白根御池無人小屋に着く ラーメンで朝食北岳をスケッチして、昼寝を2時間 広河原に14時着 丁度小屋を修理していた大工さんの車に夜叉神まで便乗 桃ノ木鉱泉に泊まる
4/30 空腹でイライラしながら8時の朝食を待つ 鉱泉にもつかり犬山へ
画像@3000mのベッドルーム 中央の板切れを敷いた所でに座る
  A予想外の肩の小屋
  B白根御池小屋
  Cそのスケッチ

 立山・剣・下の廊下 追加画像  51 リク  2026年1月16日(金) 14:09
修正
@オットット! 高須君 横の針金が遠い、ぶらぶら
A慎重に 岡本 針金の位置が低すぎる
B水平道 右岸から見た場合 TVより無断借用
C雨の阿曽原温泉 露天風呂の湯けむり、黒部川 

 立山・剣・下の廊下 2007年9/21〜25 67才 初出し2017  51 リク  2026年1月16日(金) 13:50
修正
室堂→剣御前→剣岳→剣御前→雄山→室堂→黒部湖→黒部ダム→別山谷出会
→阿曽原温泉→槻平
年齢的に今年しかないと58高須を誘い、昔から憧れだった剣と黒部川に行った
別山谷出会の巨大な雪渓が崩れたら入山が許可される それが9月中旬の予定 
装備は1Lのウイスキーを込めて8kgの軽装にした 阿曽原に電話して9/19が入山解除と確認する

9/21 JR富山で高須と合流 富山鉄道・バス・ケーブルを乗り継ぎ15時室堂に到着 すぐ歩きだして剣御前小屋に17時着 同宿5人だが別棟に映画「点の記」撮影隊20名程が長期滞在中
9/22 弁当4個持って5時出発 快晴、暑い 剣御前手前で映画ロケで足止めされたが、後は好調に一服剣で弁当 前剣を過ぎていよいよ剣だ 鎖を殆ど頼らずズンズン登り頂上8:30 人が多いのですぐ折り返し下山 剣御前小屋12時 今日はタタミ一帖二人の満員 夕食も4回に分けられる
9/23 6時発 折立・別山を過ぎ雄山、一の越から室堂へ 初の室堂ホテルで昼食 これも初アルペンロードで黒部湖へ ロッジくろよんは旅館だ 風呂と布団でゆっくり安眠
9/24 5時出発 同宿4名登ってきた2名の計8名が、本日の下の廊下メンバーだ 黒部ダムからの降り口が判らない、先行のリーダーのおばさんに教えてもらう 黒部別山谷出会の雪渓降り口もおばさんの後を行く ここから本格的に廊下になる 山側は垂直の壁、谷側は50〜100mの垂直崖で道幅は80p程 十字峡、S字峡を過ぎ、仙人ダム跡の久しぶりの平地がうれしい 峠を越えて阿曾原に2時着 直前から強雨で、傘を差しながらの野天風呂 仙人池からの下山者が多く、今夜も一帖二人だ カップ酒5・ビール3・ウイスキー2杯、よく飲んだ
9/25 雨はまだ降ってる 二日酔いで5時発 水平道に登り直し欅平には15時着 喫茶店でざるそば 列車一本乗り逃がした
画像@剣岳 前剣から
 A十字峡 左から右絵流れるのが黒部川
 B廊下核心部 左岸に水平道がどこまでも続く  

 2026年 こぶしの会新年会  荒木彩子・  2026年1月14日(水) 12:10
修正
 令和8年(2026年)の年明け、世界の混沌を憂いながらも、まずは健康で新年を迎えられたことに感謝、「こぶしの会」新年会は八坂神社への初詣で始まりました。
 八坂神社から丸山公園、知恩院を回り、粟田神社に参拝、平安神宮は大鳥居の前で手を合わせた後、白川に沿って三条通りに出て三条大橋を渡れば「がんこ三条本店」に到着! ウオーキングをスキップした野中さんと合流しました。
 当初出席予定だった甘利さんはインフルエンザのため急遽欠席となりましたが9名のメンバーが集まり、池田さん乾杯の音頭でにぎやかな新年会が始まりました。豚しゃぶコースの飲み放題のオーダーでしたが、飲めない人、飲酒をやめた人が思いのほか多く、飲み放題のもとをとるのに必死でソフトドリンクを注文・・・何はともあれいつもと同じ現役当時の話題や健康の話題で盛り上がりました。また、DWV615福山君の娘さんのひらちゃんが12日の都道府県対抗女子マラソンに出場したのもうれしい話題でした。
 こぶしの会は1945年度の1年生と3年生を中心に始まったハイキンググループでしたが、ワンゲルを途中退部した人も卒業後の山仲間も、今や欠かせぬメンバーとなっていています。
 新年にあたり、今年度の活動計画も話し合い、今年も神社仏閣の参拝や大阪の公園歩きを中心とすると決め、次の3月初旬か中旬の大阪城の梅林公園散策を約束して、散会となりました。

 参加者: 前列左から 111 藤井、高畠、123 池田、
      後列左から 115 野中、158 荒木、三輪、日野、
235 尾崎、153 吉田梢、

 訂正  荒木彩子・  2026年1月14日(水) 17:08 修正
こぶしの会についてですが、1964年度の1年生と3年生中心に結成の間違いです。

 ワーッ! 一緒に飲みたい  51 リク  2026年1月14日(水) 17:58 修正
もし迷惑でないなら 一緒によせて!

 追い出しコンパ  大西(442)  2026年1月14日(水) 15:36
修正
【追いコンのご案内】

日程)3月28日(土) 
場所)リーガロイヤルホテル
受付)18:30から
時間)19:00~21:00
会費)9,500円
参加受付期限)2月12日まで

以上皆様
よろしくお願いいたします

 徳本峠 現役1,960年 初出し2021     51 リク  2026年1月12日(月) 18:53
修正
北アルプスの玄関たる上高地は、バスで島々・中の湯から釜トンネルを抜け上高地、これが一般コースだ でも北アルプスを世界へ紹介したウエストンは、徳本峠を何回も越えて上高地へ入っている 山を愛するDWVは当然夏合宿の上高地入りを王道たる徳本峠を選んだのだ
1960年夏 私は二回生 前年は事故で中止になった北アルプス夏合宿を、再度挑戦することになった 選抜された精鋭白馬隊・本隊の立山班それに新人を主体としたボッカ隊に構成 二回生同期五人で先輩7人新人22名を世話しながらベースキャンプ設営と食料・装備を運び上げるボッカ班だった 圧倒的に世話する二回生が不足でアンバランスな班だった 一日目の泊は上高地の徳沢の予定だったが、徳本峠よりずっと手前の岩魚止のテントとなった 翌日、峠への最後のピッチで私のキスリングの上にもう一つザックを乗せて登り、すぐ折り返してもう一回新人のザックを担ぎ登り返した この日も徳本峠にテント設営をした 翌朝初めて見た北アルプスは大感激 私ら二回生に新人の荷を分け、上高地へ降りた BC設営も立山隊の出迎えも間に合わず、逆に立山隊員が、横尾から助けに来てくれた 二日後白馬隊を迎え、横尾に65人が集結した この後3班に分かれ約ひと月の夏合宿だった 
合宿最終日はやはり徳本峠を越えた この時の峠の写真は、私の同志社ワンゲル最大の記念になった 
画像@軌道橋のボッカ隊 右から@?A?B60戸田C51岡的D荒賀EF岡田F?G54佐野H72白銀
  Aおやつタイム右から@55笹岡A63荒賀B51岡本C71桜井D64蜂谷E47林F80登山G68野中H岡田あとは不明 おやつ配布は54佐野
  B最終日徳本峠

 都道府県対抗女子駅伝  大西(442)  2026年1月9日(金) 11:57
修正
今度の日曜(11日)京都市で都道府県対抗女子駅伝が開催されますが、同志社OGでは兵庫県代表の田中希さんが出場しますが、奈良県代表ではワンゲルOB福山くんの次女さん(福山ひらさん)が3区(烏丸通同志社の横)を走られるとのことです。ひらさんは先日現役部員らとトレランに参加されました。

 すごい!  51 リク  2026年1月9日(金) 17:39 修正
第一回から見ています 理由@故郷の懐かしい京都市街を走る 特に同志社大学構内もタスキ継続所だ A初回の放送を愛知で見て、その後埼玉・新潟・愛知・京都・愛知と各地を転々としていたので、特に故郷が懐かしい B京都が強い
芸人で多くなっているが、スポーツで名前が出るのは近年で「希さん」だけだ 皆さん応援しましょう 

 走行時間  大西(442)  2026年1月9日(金) 18:23 修正
福山ひらさんは13:00過ぎ頃より烏丸通を同志社方面に向かって走る予定です

 っさすが福山君のお嬢さん、がんばれ!  寺石正温107  2026年1月10日(土) 9:36 修正
 青福山君のお嬢さんが全国女子駅伝で京都を走るとか。楽しみが一つ増えた。
今までは田中希さんの快走を楽しみにしていたが、楽しみが一つ増えた。

 楽しみです  301佐々木道生  2026年1月11日(日) 6:26 修正
昔からの駅伝ファンとしては嬉しい限り。TV中継が楽しみになりました。
1区の不破や、4区の田中など有名選手や上位チームはカメラが追うけど、奈良は残念ながら速くないのでタスキリレーの時しか映らないかも。健闘を祈ってます。
来週の広島での男子駅伝も楽しみです。

 槍ヶ岳北鎌尾根V 53才 1993年  51 リク  2026年1月10日(土) 13:25
修正
第三次 1993年8/12〜15 53才
会社で最も山好きの吉岡氏を誘い、再度挑戦 
8/12 上高地14時 槍沢ロッジ17:40着 初めての小屋だが樹と渓に囲まれグー
8/13 5時発 水俣乗越8時着 北鎌沢出合へは10時 今回はもちろん迷わず北鎌コルへ13:30着 吉岡氏テントを持って20s小生13s
8/14 雨が止むの待って10時出発 独標へ14時 ヤバい箇所はザックをロープで吊り上げ、空身で登る ルート探しで60分ロス 17:30無事槍の穂先 肩の小屋には18時降りついた 宿は槍沢ロッジだが、とにかくここでビールで乾杯 と「中年の登山者二人がまだ着いていないのですが、会いませんでしたか」と小屋のスタッフ この騒ぎが私らのことだと、スタッフも私も徐々に気が付いた 気まずいのですぐ肩の小屋を出てロッジへ急いだ 
8/15 吉岡氏はこのまま穂高へ山行継続するため、私は上高地へと別れた
大きなミスもなく、危険もなかった山行に大いに満足した
画像@上 北鎌沢
  @下 コルのテント 吉岡氏と
  A北鎌尾根 442大西OB会長の画像より無断借用

 槍ヶ岳北鎌尾根U 52才 1992年  51 リク  2026年1月10日(土) 12:53
修正
第二回 1992年7/30〜8/2 52才
前回の情報から初回単独は無理と判り、ガイドツアーに申し込む 山渓の広告で選び参加
7/30 大町集合 ガイド桑原氏・参加者男3女子1の5名パーテイ 私以外は全員20代 湯俣山荘の車が出迎え 山荘14時 ザイルの指導を受ける
7/31 6時出発 アンザイレンで天上沢を遡行 渡渉2壊れた橋1ヘツリ2回 前回見つけられなかった旧道は、右岸にあった 北鎌沢のミスした分岐点は、やはり右をとれば正解だったのだ コル15時着 コルは狭い
8/1 6時発 ガス時々小雨 独標まで女子に合わせて時間がかかる 危険ポイント2.3ケ所で槍の穂先近くがきつい ルートさえミスしなければ大丈夫だ ガスの中、穂先に14時登頂 私は徳沢園で奥さんが待っているので、パーテイとすぐ別れた 18:20無事奥さんと合流
画像@天上沢のヘツリ中央小生
  A北鎌コル ヒゲ面がガイド テントは4張はいけそう
  B穂先にて 後ろ小生 尻の破れをガムテープで補修
  Cテッペン

 槍ヶ岳北鎌尾根T 51才 1991年  51 リク  2026年1月9日(金) 18:20
修正
第一回 1991年 8/11〜14 51才
新穂高→槍平→南岳→槍ヶ岳→大天井岳→ビンボウ沢→天上沢→北鎌沢→北鎌コル手前→天上沢→湯俣温泉屋→高瀬ダム→七倉
8/11 Dパック一つの軽装 槍平から南岳へ 16時到着
8/12 南岳から大天井ヒュッテ 天井沢への下り口(ビンボウ沢)は、途中確認する ヒュッテで昼食昼寝してから、大天井岳ピストン
8/13 ビンボウ沢降り口4:30着 当然道は無く、沢のヤブコギで7時天上沢着 朝食後8時北鎌沢を登りだす 微かな踏み跡を辿りながら登る ザックがひとつ転がっていたが、どうしていいのか判らずそのまま進む やがて沢が分岐していた 悩んだ結果左へ行くが、これがミス 暫くすると沢が急な草付きの壁で行き詰まった 30分壁に格闘したが、ザラ土になって危険なので退却した 北鎌のコル迄人声もあり30m程だった 
湯俣温泉へ天上沢を急いで下る 地図上の破線ルートが見つからず、渡渉・ヘツリ・崩れた吊り橋・危ない丸太桟橋等々決死の沢下りになった 湯俣山荘17時 同宿のベテランから情報を集める 単独の初北鎌は到底無理と知った
8/14 七倉迄4時間、8時着 大町・松本・島々・中の湯・平湯・新穂高と乗り継ぐ 16時車回収 犬山21時 ながーい一日だった
PS あのザックはおそらく遭難者だったかも 汚れて無く新しい、この日誰も会わなかった、後日おかしいと思った
画像@天井沢と北鎌沢の出会い
  A北鎌沢の入口 奥は北鎌尾根
  B北鎌尾根 右が北鎌沢  

 ジャンダルム再び 1993年5/1.2.3 52才 初出し2017  51 リク  2026年1月8日(木) 14:21
修正
ジャンダルムに10年を経て再び挑戦 今回は逆コース
5/1 犬山を5時出発、上高地8時到着 今回も雪が多く、横尾でアイゼン着装 涸沢までがきつい 涸沢宿泊は初めてで、涸沢ヒュッテ12時着 この季節に涸沢から穂高を登るのも初めて 因みに岳沢からは四回ある
5/2 5時半出発 テント客を含めて20名程が、一列になってカールを登る 頑張って穂高山荘へは一番乗り 8時半だ 時間が早いのでウイスキーがすぐ無くなる 一日中強風で雪が舞う
5/3 小屋の戸が雪で開かない、窓から5時出発 昨日の雪でトレースは消えている 慎重に登り奥穂高岳頂上に6時着 強風にメガネが凍る 馬の背は大量に雪が着き、容易になっていた ガスの中、突然ウソーッと巨大な影が二つ現れた ロバのミミとジャンダルムだ 瞬間、恐怖を感じる 10年前の場面を思い出し確認しながら慎重に行く 新雪でトレースが殆どなく、ガスもあって慎重にならざるを得ない カッテイングで疲れた右手首を休めながら急がず、慌てず天狗のコルへ到着した 心身の消耗が激しい
コル到着寸前、幸か不幸かアイゼンバンドが切れた 西穂高を諦める 丁度奥穂へ向かう4人パーテイが休んでいて、針金とペンチを借りて、バンドは修理できた  岳沢に2時に降りつき、そのまま上高地へ向かう 15:30上高地 犬山21時着
疲れた 手足の筋肉がケイレンする でも楽しかった 面白かった 満足だ
画像@涸沢ヒュッテ 正面涸沢岳
  A奥穂を目指す行列がザイテングラードを行く
Bジャンダルムの画像ナシ わかるでしょう


 

 ヤッパリ凄い!  寺石正温107  2026年1月9日(金) 8:34 修正
 以前西穂のロープウエイで展望台まで行き、そこから西穂を目指したが、独標で断念。そこまでの稜線と、高校生が独標での落雷で遭難したことを知り、即、断念したことがある。
 ホント、岡本さんは凄い!

 追加の写真  571 中西  2026年1月7日(水) 19:47
修正
北海道自転車PWと北横岳合宿の写真です。

 新年のご挨拶と現役の近況  571 中西  2026年1月7日(水) 19:45
修正
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
さて現役の近況報告を久しくできてきませんでした。年末年始も元気に活動しています。

自転車班はハワイ島合宿を行い無事に完走しました。2000m自転車で登り続けたあと最高峰のマウナケア(4205m)にも登頂できました。充実した海外遠征を送れたようです。

また自転車班OBの太田と、3回生の辻田は富良野から宗谷岬まで厳寒の中を自転車で走破しました。元旦は日本最北端の地で迎えたようです。

最後に雪山班は北横岳を年末年始の2回に分けて登りました。上回生は同じルートを2回行ったことになりますが、1回生をよく導いてくれました。

これからもいろいろな活動を現役が考えているようです。ご期待ください!

まずはハワイ合宿の写真を添付します。


 穂高連峰縦走 1983年5/1〜4 42才 初出し2017  51 リク  2026年1月6日(火) 18:58
修正
上高地→岳沢→紀美子平→前穂高→ジャンダルム→奥穂高→涸沢岳→北穂高→徳沢→上高地
前年に西穂高を済まし、いよいよ穂高全峰だ
5/1 昼に上高地に入る 雪は昨年の半分、岳沢に向かう 人も少なく、コブ沢で滑落死亡事故があってヘリも舞って沢全体が慌ただしい 雨が降り出し明日は沈殿かも
5/2 朝青空 重太郎新道から前穂高を目指す 天狗沢より傾斜がきつく、昨夜の雨でツボ足が消えていた 紀美子平九時着 前穂のピークのイワヒバリが人懐っこく傍に寄ってきた 吊り尾根を慎重に通過、奥穂ピークに11:30着 奥穂山荘へは3時になった ここまで順調で満足
5/3 6時出発 涸沢岳の下り、鎖のある岩場 アイゼン未着でピッケルはザックに結束 鎖にぶらさっがって足を着こうとしたとこは、斜めの青氷の面だった 右手で鎖にぶら下り、左でピッケルをザックから抜き取る ピッケルのピックを左手で青氷をカッテイングする 左手なので弱く、必死だが何とか着地の足場を作って切り抜けた 北穂高まで岩と氷が続くが、無事9時到着 この後南鐐の下りは暑くて長かったが、横尾まで一気に走った この夜は思い出の徳沢園でゆっくり
5/4 緊張の後で、ボケボケ
 画像@涸沢岳のパニック
   A左奥に槍ヶ岳・中央2つコブが北穂・右ジャンダルム
   B左 前穂高・中 奥穂高・右 ジャンダルム・そのすぐ左はロバのミミ
  

 ご挨拶  大西(442)  2026年1月2日(金) 17:14
修正
新年おめでとうございます

今年はDWV69周年、来る70周年に向けて準備を整えねばなりません。
今後はプレイベントを含め企画を作ることになります。

現在進行中の百名山プロジェクトは来年度完登を目指しております。
若手OGOBや現役生がその主体ですが、企画の度にアナウンスを行いますので、ご協力やコラボ企画の出来る方々を募集します。

様々なご意見(質問、希望、妙案…)いつでも承りますのでよろしくお願いします。

DWVの躍進、皆様が健康で素敵な一年を共に歩めますこと、
以上を願い、我々は尽力して参ります。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

(本部掲示板では私の第68号あし原稿を載せました)


 西穂高岳 1982年 5/1〜4 41才 初出し2017  51 リク  2025年12月27日(土) 12:00
修正
島々→徳本峠→岳沢→天狗コル→西穂高→小鍋谷→新穂高
前の年に八が岳で春山の入門をした ある程度の自信をもって、北アルプスに臨んだ
5/1 上高地に入るのはやはりワンゲルとしては、徳本峠からでなければならない JR・松本電鉄で島々へ 懐かしの岩魚止にやっとの思いで着いた 峠には17時たどり着く 小屋は昔のままだが、アンアン・ノンノン世代の若い女性で満員だ キャーキャー嬌声が響き、峠の古い山小屋にそぐわない 
5/2 雨だが気分よく上高地へ降りる 人人人,すぐに岳沢へと逃げた 岳沢は雪崩の音が轟き、真っ白な山々が大迫力で迫る たちまち自信がなくなり、ここ岳沢に今居る全部の人が超ベテランに思え、ちじこまってしまった
5/3 6時出発 天狗沢の先行者は一人、スゴ沢六人・奥明神沢はすごい人たち
陽が射し出し小屋を出る登山者がアリの様に見える 上部になって沢が狭くなり、雪壁に囲まれた 左上に真っ黒な畳岩が迫る 一段と傾斜が強まり、雪が胸につかえる ピッケルで必死に雪を掻きだしながらコルへ登った ここから西穂へ向かうのは私だけだ 気温が上がり雨が降り出した 雪がグズリ出すが、岩が逆層なのでアイゼンを外す 天狗岩は夢中で登り鎖にぶら下って降りた 西穂からくるパーテイはアンザイレンしている 単独の私はより慎重になった 
岩稜を過ぎた丸山付近で、岳沢側の細い縦走路 突然足の下の雪が抜けた 岩壁と積雪の間が溶けて隙間の空間ができている シュルンドに落ち込んだのだ 胸まで沈み、背中のキスリングで止まってほぼ宙ぶらりだ 靴が氷雪にひっかかり、足が上がらない まず気持ちを落ちつかせ、ザックを静かに下ろし、ピッケルで足の周りの雪を掻いた 慎重に這い上がる シュルンドの下は真っ暗で見えない 時間も遅く登山者がいなくてヤバかった 丸山を超え山荘が見えた時は、心からホッとした
5/4 ロープウエイの利用者ばかりなので、小屋からのトレースが無く、下山道が判らない トレースはないが小鍋谷を下りることにする なんだかんだでコースタイムの倍かかった 新穂高温泉で小鍋谷で摘んだフキノトウを肴に、ビールで打上げ うまい 最高だ
画像@1982年の徳本小屋
 A天狗のコル
 Bシュルンドに落ちた
 C小鍋谷からの西穂高  
     

 いやあ〜!手に汗をにぎりました。  寺石正温107  2025年12月28日(日) 10:01 修正
 ヒャア〜!危なかったですね〜!
手に汗握るとはこんなことですね。
徳本小屋がギャルばかりとか?信じられないですね。

 毎度読掲ありがとう  51 リク  2025年12月28日(日) 18:06 修正
あの頃、ランプの山小屋がアンノンで人気になっていたため 
ここらが今のSNSにつながる風潮の始めだったのだ
なにかはじける・面白いとのうわさ・仲間とうわさ話には絶対負けない等々が、いまの15〜50才の生きがいになっていると思います
これが時代 嘆きはしません

 大峰 3 1979年4/29〜5/2 39才 初稿  51 リク  2025年12月26日(金) 13:34
修正
柏木→伯母谷→脇の宿→行者還りの宿→一ノ塔→弥山→釈迦ケ岳→神仙→前鬼口
大峰2の前年 大峰は18年ぶりなので、まず前鬼までの奥駆けにする 山行再開まだ二年、単独4日山行なので緊張する
4/29 3;40犬山をマイカーで出発 伯母谷覗きまで相当きつい 伯母谷も流れがありよいキャンプ地だが、頑張って脇の宿まで行った 13:30ツエルトを張る 他にテント2張 久しぶりに直火で夕食 
4/30 3時起床雨 5時出発 行者還の宿8時着 一の塔の避難小屋で寒さに震えながら昼食 小雨が降り続く 12:20立派になった弥山小屋に着く
5/1 朝食なしで5:30出発 雪がチラつき風もあって寒い 善師の森・舟の塔をひとり山行を楽しむ 釈迦が岳のお釈迦さんにも久しぶりの対面 前鬼の小仲坊に13時到着 風呂がありがたい 本日神仙付近で遭難事故があったとのこと 父子の登山者が発見して、その父子と同宿だ 
5/2 3:30遭難救助隊が収容に出発 父子の父は遭難地案内で同行した その小5の子とふたりだけになる 子供を励ましてから7時出発 前鬼口9:20 前鬼川には筏流しが昔のまま筏を流していた 

遭難のこと
脇の宿から3日誰も合わない、雨で物寂しい山行だった 神仙近くなって小笹が茂り道が見えづらい その時どこからか「オーイ!」と呼ぶ声 暫くしてまた「オーイ!」と聞こえた 不思議の思ったが、そのまま歩き続ける おそらく遭難関連だったのだが、私はその時遭難は知らない 歩き続けていると、急に開けて目の前が空になった 道が途切れて崖になっていたのだ 少し踏み跡があるようなので木をつかみながら、急坂を10分ほど降りた またその時、谷底の方から「おーい!」と聞こえた そこでふと冷静になった 「こんなに急な坂は一般登山道でありえない」何か変だ、おかしい それで引き返した 20分ほど戻ると笹の中に直角に曲がる道の分岐を見つけた さっきの道は先行者(多数の)がミスして造った道なのだ 小仲坊で知った遭難は、ひょっとしたらさっき私が降りだしたところで滑落したのかも ひょっとしたら谷底の遭難者が、私を呼んでたのかも そんな雰囲気は大峰の常で、そこが好きなのだ
PS 12/20の返信で怒られましたが、今度はちゃんと戻りました   

画像@左 柏木道の女人結界門・右 新しい弥山小屋 当時のカメラはオリン
  パスペンだったので1枚の画面で2枚撮る
 A善師の森 黒い森で雪がちらつく 

 大峰 2 画像追加  51 リク  2025年12月25日(木) 18:34
修正
赤野君はなくなり 鈴木君は闘病中 
画像DEです

 大峰 2 1961年10/10〜17 21才 初稿  51 リク  2025年12月25日(木) 18:31
修正
三回生の時、二回生の74鈴木一回生の84赤野と大峰奥駆けPWをした この年は夏から秋合宿まで2か月以上空く 部はこの間のPWを半強制で勧めていた 私の新人秋合宿は吉野から潮岬を目指した大峰だった でも英語の中間テストがあって前鬼から降りた だから大峰奥駆けがやりたかったのだ まず鈴木に声をかけ、あと1.2人勧誘してと頼んだ だがまさか新人の赤野がOkとは思わなかった 吉野から熊野の大峰奥駆けはかなりのハードだ 赤野には確認した
@吉野駅→金峰神社→大天井岳
A→五番関→山上ケ岳→小笹の宿
B→脇の宿→行還還岳→弥山
C→八剣山→釈迦岳→神仙宿
D→蘇草岳→持経ケ宿→平治の宿
E→行仙岳→佐田の辻→上葛川
F→玉置山→萩
G→熊野本宮
思い出の画像
@吉野駅 いざ出発気合のメンバー 左から赤野・鈴木・岡本
A古い石標 五番関にて右吉野道・左洞川道とある
B峰号 行者帰りあたりから我々に付いてきた 平治が宿で三日目どうしょう
 と悩んだが、この夜、地元猟師をガイドに東京の文筆家が宿に来た 猟師は困 
 っているなら引き取ると言ってくれた 私は峰号と名付けていた
C釈迦岳付近で、ルートミス60分 画像は当時の奥駆け道を現す
D平治が宿 画像は合成で、左から赤野・岡本・鈴木 ここで峰号の運命を決めた
E佐田の辻 手前が鈴木で奥が赤野 終点が近くなり、ご機嫌の甲羅干し 

 大峰 1 1980年4/30〜5/4 39才 前鬼→本宮 初出し2018  51 リク  2025年12月24日(水) 18:34
修正
前鬼口→小仲坊→太古の辻→持経の宿→平治の宿→葛川の辻→上葛川→玉置山
→五大尊岳→山在村→熊野本宮
昨年柏木から前鬼までを歩いたので、今年1980年前鬼から熊野本宮までを目指した
1961年現役3年、74鈴木・84赤野と吉野から熊野のPWを一人で再現するつもり
  前鬼口→太古の辻→持経の宿→上葛川→玉置山→熊野本宮
4/30 マイカーにザックを積み出勤、昼休みそのままずる休み 吉野家牛丼2個購入して出発 前鬼口に17時着、駐車 20kgのキスリングに牛丼を括り付け、雨の林道を歩く やがて真っ暗になる 林道からの登山口を見過ごさないよう慎重に歩き続ける 前鬼口の小仲坊に着いたのは20時を過ぎていた 同宿者はみな寝ている で縁先に座り、酒を頼み牛丼を肴に飲んだ 昨年も小仲坊泊
5/1 夜2時には満月が輝き、ブッポウソウが鳴き出した 朝二個目牛丼を食べ6時出発 童子岩の門を抜け、太古の辻に着く いよいよ18年ぶりの奥駆けの始まり 鉈目頼りだった道が、ウソのように整理されていた 新しくなった持経の宿に着く 前の水場に大きい山犬が7.8頭屯していた 恐ろしい どこかに消えるまで待ってから、水場へ行った α米で明日の昼食用おにぎりを作る 小屋の前面が大きなガラス窓、後ろは満月を背に岩壁で夜中山姥が覗きそうな雰囲気だ
5/2 5時出発 平治の宿はTVで見た今西先生80才登攀記念植樹の桜があった 本日は16時になったらそこでビバークの予定 その用意で水確保の為、谷へ降りた 里に近く生活道が多くミスって、そのまま上葛川村へ降りた 民宿の奥さんはダニを外で払ってから入れと言う 上着・ズボンを脱ぎ20匹ほど見つけた この村は1961年のPWでも泊まっている 私が風邪で体調を壊し、この村へ一旦降りたのだ 当時宿はなく山渓のガイドに「某農家に頼めば泊めてくれる」とあったので、ある農家に泊めてもらったのだ 風呂・食事・布団まで用意された それで学士さんからはお金は貰えないと宿料を受け取ってくれない
 【こんな信じられないような日本が、当時はそこにあったのだ】
5/3 満月を頼りに4時村と別れた 奥駆け道に戻り、7時玉置山に着いた 祭装束の氏人が大勢だ また里に近くなり生活道が入り組み、難しい やっと山在峠から熊野川に出た 前後に橋がないので、熊野川を渡渉した 腰まで水はなかった 十津川街道を歩き熊野本宮に16時到着 5/5に親戚の結婚式があり、明日には帰らねばならない 新宮へバス でも連休で宿がない 小学校の校庭でツエルト張ろうとしたら、ポリさんに怒られた 警察パワーで何とか宿を紹介してもらう
5/4 バスで前鬼へ戻り、車回収 犬山16:30着
画像@太古の辻 いい雰囲気だ
 A上葛川村
 B山中の道しるべ 木に埋まりそうで江戸中期かな
 C熊野本宮 かなりこの山行で痩せた

※今西教授   当時同志社でも授業されていた 京大の教授
 ブッポウソウ コノハズク・「仏法僧」と鳴く 別の渡り鳥でブッポウソウ
        はいる
 鉈目     樵や猟師が目印にルートの立ち木に鉈で30cmmほど削った木の
        傷跡 古くなると木が成長して上部になる


  

  

 エピローグ 3  51 リク  2025年12月23日(火) 17:57
修正
だんだん 主題と離れていきますが,これから掲載するテーマとのつなぎのです

私の好きでたくさん行った山域 学生時代を除きます
@鈴鹿  山行95回・延べ111日
 家から近くは90分、遠くて120分で殆どが日帰り 会社現役で毎日曜日鈴鹿へ出勤していました
 北の霊仙岳から、国道1号鈴鹿峠を越え油日岳まで全県境を踏破した 昭文社ユポの地図は3枚がボロボロ
A日本アルプス(乗鞍・御嶽を含む) 山行45回延べ150日(内横断22回64日) 
 ミーハーみたいで槍・穂高が好き でも針の木岳の北はアルプス的でなく好
 きだった 槍は東西南北の全尾根を登った
 内訳 北ア山行29回101日 中央ア5回・11日 南ア11回38日
B大峰 現役の合宿が最初で、その後も忘れない 人が少なく静かで、山域全てが神域のムードだ 道はほんとの山の道だ 山行5回延べ16日 
Cその他 27回 46日 
 総計 172回 323日

有名山 登山回数
 16回 鈴鹿 御在所岳
6回 鈴鹿 鎌ケ岳
 4回 槍ヶ岳・奥穂高・北岳・木曽駒ケ岳
 3回 立山・仙丈岳・鈴鹿 藤原岳
 2回 常念岳・白馬岳・北穂高岳・富士山 他多数 

 エピローグ 2  51 リク  2025年12月23日(火) 15:15
修正
1989年と2011年 日本横断単独化とコース整理のながれ
     1989             2011
コース 槍ケ岳→常念岳→上高地     槍ヶ岳→穂高連峰→上高地

    北沢峠→広河原→北岳→間ノ岳  北沢峠→仙丈岳→三峰岳→塩見岳
    →三峰岳→塩見岳 

秋合宿 藪原→御嶽山→濁河→野麦    単独山行
家族  朝日岳→雪倉岳→三国境      〃
〃   上松→木曽駒が岳→木曽福島    〃

   単独化するのに2年かかりました    

 日本横断 エピローグ 1  51 リク  2025年12月21日(日) 10:23
修正
日本単独横断は終了しました こんなに長くかかったのは序章に書いたとおりです
ここで22回分を統計分析します ゼミは統計学でした
日程 日帰り2回(NO11は1回に計上)・2日6回・3日8回・4日4回・6日2回
   自宅犬山で山に近いので2日や3日間が多い 6日間は5月連休とお盆休み
季節 春(4.5月)8回・夏(7.8月)4回・秋(10月)10回
交通 公共手段15回 マイカー7回  
   自分では逆と思ってた 南アはマイカーの回収が難しいからです
宿泊 小屋 31日  ビバーク10日 
   ビバーク内訳 山中2・ツエルト2・駅3・バス停他3

今後 横断番外やアルプス以外の山などを掲載します

 お疲れ様でした!  寺石正温107  2025年12月22日(月) 15:45 修正
 壮絶な最後でしたね。手に汗濁り「がんばれ!」といいたくなりました。
毎日読ませていただくのが楽しく、最後は感動でした!ありがとうございました。

 日本横断 NO22  初出し2017  51 リク  2025年12月20日(土) 20:32
修正
駿河徳山→島田市→太平洋  1988年 5/27・28  47才
前回足の事故で中止したリベンジ 今回は何があっても太平洋に到達する覚悟 長距離対応で山靴・地下足袋・スニーカーを用意した
5/27 今回も帰社後すぐ出発 大井川鉄道駿河徳山駅に21:40到着 無人の待合室でシラフに入るがアルコールがない(忘れた!)ので寝付けない
5/28 2時出発 真っ暗な里山の田舎道を歩きだした 雨が降ったり止んだり 地下足袋は足指が痛く、スニーカーは足底が痛い 我慢限界まで履いて、交互に履き替える 島田市へ50km歩いて、デパートでスニーカーの靴底敷きを購入 足はこれで解決したが、今度は膝裏の腱が猛烈に痛み出した タオルを両膝にきつく巻いて我慢 1878年架橋の蓬莱端まで来た 橋は木造・60cmの低い欄干で、所々橋板が抜けてはるか下に大井川が見えた 20円の通行料を箱に入れて渡る 見渡す限りの茶畑の丘陵を抜け、太井川右岸を行く その姿は杖を突き両膝をタオルで縛り、足を引きずって人に見せたくない格好だった 5万の地図でなく道路マップなので現在地同定が困難だ 太井川にかかる東海道線・新幹線・東名高速の橋が目安になる 最後の一般の太平橋を越えてからは、広大な河原を歩いた 「ドドッドーン!」突然波涛が聞こえた 土手に駆け上がると、太平洋が目前に広がった 17時のことだ ガッツポーズを自然としていて、涙も自然と出た
海岸の巨大なテトラポットを乗り越え、ミニボトルに太平洋の水を汲んだ
本日行動14時間 距離85km 明日は月曜日、感傷に耽けって居られない、すぐバスで藤沢駅へ 列車を待ってビールでひとり打上げ
画像@ 大井川の蓬莱橋
 A太平洋 大井川河口

※ミニボトル・・サントリーがホテル部屋用に市販製品を5pぐらいに縮小した
        この場合オールドのミニチュア 通称ダルマ
 11/15No1の日本海海水と合わせ冷凍して、1989年8月北岳の三角点に注いだ
 このことは別に後日掲載予定です 

 日本横断 NO20  初出し2017  51 リク  2025年12月19日(金) 11:11
修正
茶臼岳→光岳→柴沢→寸又峡温泉  1988年 4/30〜5/5  47才
南アルプス主脈最南端光岳(テカリダケ)から寸又峡迄6日間の残雪期山行 開いてる小屋(無人)は二軒だけ フル装備(カンジキ・地下足袋も) 軽量化に努めて25kg この年1988年は横断山行5回延べ19日 人生最強の年だった
4/30 帰社後夕食なしで即出発 JR金谷に21時 今夜の宿が無く、町はずれの神社の軒下でシラフに潜る 一晩中暴走族がうるさい
5/1 金谷6時発 大井川鉄道・大井川トロッコ・バスを乗り継ぎ畑薙に10時着 25sのキスリングで畑薙大吊橋が揺れる 急登で息が上がり足もつる 16:30無人の横窪小屋に着
5/2 6時発 2000mでアイゼン 体調良く順調 尾根近くから強風 トレースを頼りに茶臼岳頂上を踏む 強風のおかげでガスが晴れた ワカントとアイゼンを交互に履き替えながら、光小屋16:30着 ここも無人で冬季入口は2回窓 満員だ 柴沢・信濃又からの登山者が数人いたので、トレースが確実で明日が安心できた 一人の青年が食料不足を心配していたので、予備食のラーメン3袋提供する 飲料水は雪で作る ウイスキーは早くも無くなった
5/3 4時発 30分で光岳 快晴で富士山とご来光が気分いい 雪上で焼きそば朝食、6時再出発 トレースが確実なので安心して歩く 結果、百俣沢ノ頭から信濃俣に入ってしまっていた 分岐の標識を見過ごし、椹澤山まで来てトレースがなくなり気づいたのだ 2時間以上通り過ぎていた 赤テープが下の谷に見えるので、谷へ降りる その後も古いテープが所所残っていたが、やがてそれもなくなった 巨樹の倒木が方々に横たわり、まさしく人跡未踏の原始の森だ 水確保の為、残雪の最後地点でツエルトを16時張る 雨が降り出し、食料は明朝分しかないのが不安だ ガソリンだけは充分あり、それだけが頼り
5/4 傾斜地なのでシラフが滑る 夜中2時諦めて起きた 暖房・食事・水確保でホエーブスを点ける ゴーッと燃える音の勇ましさに元気をもらう 明るくなるまで昨日の行動を何度もシュミレートして、現在地を95%の確率で同定した 一時間、西へ水平にヤブコギすれば、登山道に出るはずだ ピッケル、登山靴をザックに入れ、地下足袋に履き替えてヤブコギに対応 6時出発 雨も止んできて見通しも効きだした 一時間ほどして予想通り登山道に出た これで安心 柴沢へ2時間で降りた でもこれからが大変だった 寸又峡迄11時間、ほぼ水平の林道40kmが待ってた 20kgのザックで傘を差し、ただ時間の消化をするだけのロードだ 暗くなった20時、雨の温泉にたどり着いた 連休で当然宿は満杯 売店・食堂は閉まっている 自販機のビール、非常食のビスケットが夕食 バス停のベンチを二本合わせてベッド 起きてから19時間、行動14時間の一日だった
5/5 早朝 浴衣姿の温泉客の下駄の音で起こされる 残ったビスケットだけの朝食 始発8時のバスに乗る 大井川鉄道のSLでJR金谷へ 犬山には13時帰宅できた
 五泊中ビバーク3回 南の南はなめたらアカン!
画像@手前が茶臼岳、後ろが上河内岳
 A富士山とご来光 光岳から
 B椹沢山の標識 ミスに気付いてガックリ
食事メニュウ
    朝       昼       夕
4/30  ー       ー      駅弁
5/1  ドーナツ・ビール おにぎり   ラーメン
5/2  ラーメン    行動食    菓子パン
5/3  ヤキソバ    行動食    GFチキンライス
5/4  ラーメン    行動食    ビスケット・ビール
5/5  ビスケット   駅弁     ー
 ※行動食・・ドライフルーツ・ビスケット・菓子パン・カロリーメイト・飴
    
 

 無謀では?  寺石正温107  2025年12月20日(土) 8:17 修正
 前回も記したが、”無謀”です。道を間違えたときは引き返すのが常識です。抜群の体力には驚きますが。
 後のコースはロードのみ、ゆっくり行きましょう。

 日本横断 NO21  初出し2017  51 リク  2025年12月19日(金) 17:59
修正
千頭→寸又峡温泉→駿河徳山  1988年 5/20・21  47才
寸又峡から一気に太平洋岸までのつもり だったが
5/20 前回と同じく18時出発 名鉄・JR・大井川鉄道で千頭21:30到着 ホームのベンチでゴロリ 雨が降り出し、駅舎の軒下へ避難
5/21 深夜2:30 突然枕もとで「コケッコッコー!!」 駅長の飼ってる鶏の鶏舎が真横に有ったのだ そのまま起床 それで寸又峡迄を先にするプランに変更して、早朝の20kmロードをする 寸又峡からはバス、鉄道で9時千頭に戻った ところが駅のホームに左足が着く瞬間に「空」を踏んでしまった 足がねん挫みたいになった 次の駅駿河徳山まで我慢して歩くが、痛くて無理 横断継続を考慮して今回はここで敗退
画像ナシ 

 日本横断 NO19  初出し2017  51 リク  2025年12月17日(水) 10:59
修正
三伏峠→荒川岳→赤石岳→聖岳→茶臼岳  1988年8/11〜16 48才
南アの夏・六日・3000m七座 食料提供小屋二軒だけ 装備は絞ったが31kg 食料はα米C・ラーメンB・GFライスB・菓子パンB・ウイスキー1800cc

8/11 17時退社、帰宅後即パッキング、夕食 多治見IC高速バス停へ奥さんに送ってもらう 高速バス、JRで伊那大島 駅の貨物プラットフォームで23時シュラフに入った 5.6人登山者がビバークしていた 夜中、単独行の登山者がテンカン発作 救急車が来たが帰らした
8/12 6:40発のバスは満員、塩川に8時着 ザックが重く足が痙攣、だましだまし登り続けた 昨夜のテンカン発作者も同じコースを登っている 発作持病者の単独登山は絶対ダメだ  13時三伏小屋に到着 同宿20名
8/13 昨夜は豪雨だったが、星が瞬く4時半出発 ザック30kgはさすがに堪える、身体がだるく高山裏で1時間朝食休憩をするが、体調は戻らない 荒川中岳小屋にバテバテで15時到着 同宿5名 缶ビール割り当て一缶だけ 眺望がよく静かないい小屋だ
8/14 4時起床 荒川東岳・丸山へピストン(日本横断のついで全3000m登攀の為) 小屋に戻って朝食、7時半出発 荒川小屋で24時間ぶりの水確保 3時赤石岳、ガスが出てきてやがて雨 雨中、今にも倒壊しそうに傾いた百間洞山の小屋に着く 小屋はツアー客で大混雑 ここもビールは一缶が割当で、しかも@800円だった
8/15 4時発 尾根まで戻って一時間朝食休憩 兎岳でヘリコプターの極近事故がそのまま残骸で驚かされる 食料が減り軽くなり、山にも慣れて元気が出てきた 聖岳には余裕で登れた 台風接近予報で今夜は聖平泊にして、14時着 昨夜の小屋から一緒で、私を「キスリングのオッサン」と呼んでた、抜きつ抜かれつだった横浜の青年二人と飲む ここもビール一缶の割り当てだ ウイスキーもなくなり夜がつらい 本日3000m七座を超え満足 台風は夜半まで暴風雨で荒れたがその後通過した 
8/16 濃霧の3時出発 暗くて現在地を同定できず不安だが、ひたすら歩く 明るくなって地図で確認 なんと倍近く来ていた 5時上河内岳・6:30茶臼岳着 ビールが欲しいが茶臼になく横窪沢小屋にもない ウソッコ沢小屋まで下りてやっとめぐり逢えた 南アはウイスキー1.8lでは足らないのだ 
畑薙に12時着 バスセンターで子供がキスリングを不思議がった キスリングは、もう遺物なのだ 犬山へは19時帰れた
真夏の南アルプス中央部の縦走 達成と満足感、それに誇りだ 48才 絶好調!
画像@悪沢東岳 
 A赤石岳 荒川岳より

 呆れるほどのパワー  寺石正温107  2025年12月18日(木) 8:53 修正
毎日読むのが楽しみではありますが、岡本さんの体力にはただただ驚きです。
現役時代には同期の赤野(故人)と一年先輩の鈴木さんが「大峰の奥がけ道」を辿り新宮までのPWを計画達成したのも驚いたが、今回のシリーズにはただただ、”驚き”の連続です。
静岡の海まであと少し、楽しみだ。

 ありがとう  51 リク  2025年12月18日(木) 17:57 修正
年内で横断は終わりにします その後は番外としての山行を掲載します
私の横断は、北は剣→立山・下の廊下・燕→蝶・槍の四方尾根 南は白峰三峰・鳳凰三山等横断につながる尾根、峰を全部歩きました それが番外です 乞うご期待
ここに再び掲載することが、私の当時の思い出が蘇り楽しいのです でも個人的に掲示板を利用しているようで、真実申し訳ないと思っています


 日本横断  NO18  初出し2011  51 リク  2025年12月16日(火) 10:57
修正
三伏峠→塩見岳→三峰岳→仙丈岳  2011年8/27〜30 71才
いよいよ横断最後の山行だ 8/25になって登山口へのバスが8/28で今年最終と判り、慌てて計画 成功の為装備を削る 火器・食器・ツエルトなし 食品は菓子パン3ケ・チョコ・飴・ウイスキー500ccのみ 昼食は小屋の弁当に頼る
8/27 犬山4時出発、JR飯田線伊那大島駅に駐車 始発バスで2時間、島倉8時半着 雨中、三伏峠に12時着 塩見小屋には15:30到着 南アの小屋はトイレは外が多い 雨中の夜のトイレが非常に面倒だ
8/28 6時出発 塩見から仙丈岳の仙塩尾根、今日の縦走は私だけだ 塩見岳は北からの眺めが迫力ある 静かな樹林の尾根筋をひとり楽しむ 12時熊野平小屋到着 小屋のテラスは大きく谷へ張り出し、対岸の農鳥岳が真正面に迫る トイレは小川の天然水洗で清潔 憧れの小屋だった 大阪府立大ワンゲル9人がテントを張っていた ラジオで天気図を作成中、私も気象係だったので話しかける 同宿は仙丈岳からの仙塩尾根縦走者一人だけ 朴訥な小屋のオヤジで、明朝3時の朝食を希望しても、即ハイの返事だ ウイスキーと昼寝の贅沢な午後を過ごす
8/29 3:30朝食、4時発 暗くてガスもあり登山道迄が判らない テント場をウロウロ30分ロス 気持ちの良い尾根筋を三峰岳へ 赤いユニフォームの府大WVが隊列正しく、朝日を受けて登ってくるのが見下ろせた 凛々しくも頼もしくて懐かしい感情が溢れる 彼らは北岳を経て下山だ 仙塩尾根は樹林帯が多く見通しが悪く、現在地が判りつらい 邪魔されていた視界は、大仙丈岳で突然開ける 眼前に膨大なボリュームの仙丈岳が現れた ピークへは思いかけず早く着く 千丈岳の三角点石柱に手を乗せ「単独日本横断」達成を確認した 頂上は人が多く感激に浸れず、すぐ仙丈小屋へ 急に身体が軽くなり宙に浮き上がりそうになる 小屋で一人祝った生ビールが、うまい、ウマイ!
8/30 歯磨き・洗顔・小屋ノート記帳・記念バンダナ やった事の無いことをこの小屋でやった 天気は日本晴れ、朝から上機嫌で下山 北沢峠に8:30着 緑さわやか鳥の声だけの静謐な峠だ 峠の山荘で焼き立てクロワッサン3個と生ビール2杯、人生で味わった最高の朝食をとる 峠からはバス2回にJRを乗り継ぎ伊奈大島へ、4日置きぱなっしの車を回収 15時犬山帰宅
画像@仙塩尾根からの塩見岳
 A熊野平小屋 窓に迫る農鳥岳
 B雄大な仙丈岳 大仙丈岳より(仙丈岳を挟んで大・小の仙丈岳がある)
 C横断完成の瞬間 茫然自失顔

 日本横断  NO17  初出し2010  51 リク  2025年12月15日(月) 10:24
修正
戸台→北沢峠→(甲斐駒ヶ岳)→仙丈岳  1990年 4/29〜5/1  49才
4/29 戸台に車を止めた 日本横断を正確にするため通り過ぎたバス停まで10分歩き戻る 戸台大橋、小雨の中8時出発 八丁坂でアイゼン 13:30北沢峠着 北沢駒仙小屋に泊まる 相客4・テント6張 14時過ぎからカミナリ・吹雪
4/30 晴 本日は日本横断番外で、30年ぶりに甲斐駒ケ岳を目指す 昨夜の新積雪は10cm でも先発トレース・ラッセルがあるのでラクチン 仙水峠を過ぎて、駒津峰・六方石の急坂を上る 六方からは先発組を追い抜いたので、新雪に自分のルートを苦労して記す 駒ヶ岳はひとり、360度のビューを楽しむ 
5/1 快晴 今日は仙丈岳ピストンだ 小仙丈岳へ気分良く到着 ここから視界が開く 視界一杯に真っ白で優しくたおやかな、でも巨大な仙丈岳が現れた 登山者の行列がアリの様だ 頂上からすぐ小屋へ下山11:00着 戸台までの林道は誰にも会わず、寂しいロードだった 犬山18時
画像@駒仙小屋 ストーブのケムリが温かい
  A小屋内 マルキルの水筒はウイスキー、湯呑で呑む 床のアイゼン・靴・ピッケル、棚の傘は私の装備
  B甲斐駒ケ岳 六方石より
  C南アの女王仙丈岳 右の尾根に5人パーテイ   

 日本横断  NO16  初出し2016  51 リク  2025年12月14日(日) 18:29
修正
戸台→駒ヶ根  1987年10/18  47才
中央アルプスから南アルプスへ、両登山口へつなぐロード 40km8時間 完全舗装全コース 過疎地域なので、コース付近に食堂・トイレ・自販機なし

駒ヶ根菅ノ台に駐車 5時から歩いてJR駒ヶ根駅6時 JRで伊那北へ、そこから高速バス・バスを乗り換え戸台へ 戸台大橋9時着 ここからロード40kmに出発 152号に出て夏のような日差し・照り返し、それにすごく多い工事ダンプの排気で日中悩まされた 水が無く溝の水を呑む 駒ヶ根駅16時着 バスで菅野ノ台で車回収 15時間行動 19時帰宅 こんな日だから画像はナシ
  

1 2 3 4 5 6 7 8 9  過去ログ全 512件 [管理]
CGI-design